妖しく溺れ、愛を乞え
 ごそごそと荷物を転がして、ドアの前に立ち止まった。

「さ、入って」

 黒いドアを開けると、広い玄関に革靴とスニーカー。

「おじゃま、します……」

「荷物、とりあえず玄関に置いておけば。整理するのはあとからでもできるだろう」

「はい」

 廊下、広いなぁ。良いマンションだ。

 あたしは言葉に甘えて、玄関を入ってすぐの廊下に荷物を積み上げて、ショルダーバッグだけを持って部屋に入った。

 大きな窓のカーテンは閉めてある。テレビ、ライト。白い壁に茶色のフローリング。少し殺風景だけれど、でも清潔な感じのする部屋だった。

「きみの会社に入り込んでから、急いでここを探して貰ったんで、なにも無いんだが」

 そういうことか……。だからこんなに生活感の無い部屋なのか。

 彼は、4人は座れる黒いソファーに腰掛けて、ネクタイを弛めた。「座ったら?」と言われて、あたしも隣に座る。

「すみません。すぐ、すぐに部屋を見つけるから、だからそれまで……お金も返しますから」

「……ここに、居たらいい」

「でも」

「行くところ、無いんだろ?」 

 ぐっ。その通りだ。間違いない。いまは宿無し女なんだから。

 言い返せないでいると、そっと肩を抱かれる。ぐっと引き寄せられて、あたしはバランスを崩した。

「あっ」

 不機嫌だったくせに。なんで急に優しくするわけ?

「俺は、一緒に居たいけどな」

 そうやって、軽々しく甘い言葉を囁くの。やめて。

 恋人の潤に突然別れを告げられて、一緒に暮らしていた部屋を追い出されて。行くところが無くて……大荷物を持ってうろうろ。そして酔い潰れて夜の街でひとりぼっちでゲロして。

 急に、自分が情けなくて寂しくちっぽけな存在に思えてきた。

「やめて」

「……雅」

 あたしは深雪から体を離した。

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