妖しく溺れ、愛を乞え
 その日、あたしは仕事を定時で切り上げると、深雪のマンションへ真っ直ぐ帰らずに、不動産屋に居た。

「この価格帯で他にありますか?」

「そうですねぇ、現時点ですとこのあたりでして……」

 全然、好感触じゃない。時期が悪いのは知っている。別な店も行こうかな。ネットでももうちょっと探そう。更新されているかもしれない。

「また来ます。ありがとうございました」

「ほかにおすすめの物件が出ましたら、連絡差し上げます」

 それはありがたいけれど、その連絡をあてにはしない。後日、他を当たろう。


 不動産閉店時間19時少し前。店を出ると雨が降っていた。傘を持ってきて大正解。嫌だなと思いながら口を尖らせて傘を開き、薄暗くなった街を深雪のマンションへと帰る。

 直行直帰で帰宅時間も分からないし。買い物、一応して帰ろうか。お金も預かっているわけだし。

 でも、お弁当やお総菜が良いのか、それとも料理をしたいのか、分からない。買い物リストがあるわけじゃないし。外食でも良いような気がするんだけれどなぁ……と。

 昨夜、あんなことがあったのに、ノコノコとマンションへ戻る自分も馬鹿だと思う。

「お前をひとりにしない。俺のそばに居てくれ」

 そう繰り返す深雪から、なんだか離れられない気がしている。おかしい……これはおかしい。どうしてしまったのだろう。異常だ。クソエロ妖怪。

 何度ついたか分からないため息を、口の前で掴むようにした。ため息をつくと幸せが逃げちゃうって言うし。

 とりあえず、帰ろう。

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