妖しく溺れ、愛を乞え
 マンションのドアを開けると、電気が着いている。もう帰っているのか。そして、とても良い匂いが立ちこめていた。美味しそうな匂い……。

「ただいま……」

「お、おかえり。遅かったじゃないか」

 バッグを置いて、キッチンを見ると、エプロン姿の深雪が立っていた。料理していたの? ていうか、作れるのか……!

「夕食、できているぞ」

「ごめんなさい。不動産に寄っていて……」

「なんだ、不動産って」

「部屋、探さないと。ここにずっと居るわけにはいかないわ」

 荷物はまだ解いていないんだった。部屋着に着替えたい。結んでいた髪を解いてまた結び直し、お団子にした。

「だめだ、ここに居ろ。他へ行くなんて許さないぞ」

 料理の乗ったお皿を2枚持って、深雪がテーブルまで来る。

「だって、そういうわけにはいかない」

「いいから。ここに居ろ」

「……」

 いまはなにを言っても通じない気がする。もとから、ここにずっと居るつもりはないのだから。

「あの、部屋着に着替えていいかな……」

 話題を変えようと、そう言った。

「ああ。次の休みにでも荷物を解けばいい。クローゼット使って良いから」

「はぁ……」

 どうしてもあたしをここに置きたいらしい。

 玄関に詰み上がっている荷物を漁り、部屋着を出した。もっと可愛いものがあったはずなんだけれど、荷物のどのへんにあるのか、いまいち、思い出せない。ああ……本当にもうなにもうまく行かないなぁ。

「着替えたら夕食にしよう」

「ありがとう、ございます」

 モゴモゴと部屋着の上をかぶりながら返事をした。急いで着替えると、リビングへ戻る。

 テーブルにはサラダにシチュー。どこで用意したのか丸いパン。チーズとワインが用意してあった。どこのホテルディナーだ。

「あ、あの」

「なんだ。早く座ったら良いだろう」

 深雪はドレッシングを持って来て、あたしに手招きした。

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