妖しく溺れ、愛を乞え
「こいつは、食うためじゃない」

「なにを……そんな匂いぷんぷんさせた、しかも女。抱けば力になるし、食えば延命になる」

 ちょっと、待って。あたしを食う話をしているの? 冗談じゃないぞ。怖い、どういうこと。

「雅、大丈夫。連れて帰るから」

「おい、深雪丸」

「別にお前と殺し合いをしたいとは思わない。これを返してくれればそれでいい。俺たちが帰った頃に、体が自由になるようにしておいてやる」

「……」

 ふわりと、ケイジュの背中から降ろされる。逆さまだった視点が正常に戻った。

「……ん?」

 動けないケイジュが、なにやら言葉を発した。それを背中で聞いて、深雪に支えられて立った。さっき見た、背中の大きな黒い羽は、今は無い。

「み、深雪」

「ごめん。危険な目に遭わせた。歩けるか?」

「……大丈夫。なんともない」

 あたしは頭を掻いた。怪我も無い。

 深雪をよく見れば、背中の黒い羽が無くなっている。仕舞ったのか……どうなっているの?
 デニムにTシャツという姿で、どうやら先に帰宅していたようだ。あたしの帰りを待っていたはずだ。

 深雪に肩を抱かれ、歩き出そうとした時だった。 

「おい、待て」

「……なんだ」

 ケイジュがあたし達を呼び止める。

「お前、その女……まだ手を付けていないのか。お前の匂いがしない」

「……」

 食うだの手を付けるだの。本人を目の前にして話さないで欲しい。なんなの、一体。

「言っただろう。食うために居るんじゃない」

「……フン。すぐ食ってしまえば良かったものを。お前の体には一番……」

「黙れ!」

 深雪が叫んだ。とても怖い目をしている。こんな風になるなんて、初めてだ。

 無駄な争いをしたくないと言った表情で、深雪がケイジュを睨みつけた。

「帰れ。二度と来るな」

 深雪はあたしの手を取ると、足早に歩き出した。マンションはすぐ近く。さっき見た羽は、どこへやったの。あんなものがあるなんて。

「滑稽だな。吸血と雪のどっちでもないような、呪われたお前が!」

 離れたところからケイジュが叫んでいた。


 暗い道を足早に歩く。

「深雪……あの、どういう」

 険しい横顔に向かって、言った。聞いてはいけないのかもしれない。言いたく無いかもしれない。でも、

「……あとでちゃんと話す」

 呪い? どういうこと? 

 あたしの知らないなにかが、動き出している。真っ直ぐ前を見て、あたしの手を握る深雪の横顔は、少し悲しそうに見えた。



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