優しい歌 ※.。第二楽章 不定期亀更新

12.すれ違う心 -冬生-

10月上旬。
ラジカットの5クール目を翌日に控えた日、
いつものように瞳矢と真人を出勤途中に学院へと車で立ち寄る。


「あっ、おはようございます。
 瞳矢の兄さん。おっ、瞳矢、真人おはよう」

そういって車に近づいてきて早々、瞳矢の荷物を持つのは飛鳥君。

「おはよう。飛鳥君。
瞳矢、真人くん、気を付けていっておいで」

車から降りた二人が、校舎の中へと入っていくのを見送って、
僕は再び愛車へと乗り込んで、職場へと向かった。


僕は静かに、弟二人を見守り支えていこうと思ってる。

家族なんだけど、家族よりの一歩後ろに下がって、
和羽や、お義母さん、お義父さんたちのフォローも出来るように
備えていなくちゃと気負ううちに、迷宮に入り込んでしまっている
そんな感覚が襲ってくる。


シグナルをキャッチしてるのに、
どう備えて攻略したらいいかわからない僕自身の心。


僕ですら、こうなんだから家族や当事者にとっては
もっと向き合うのに覚悟が必要だと感じるから。



そんなもやもやした気持ちを切り替えるように、
病院の駐車場に車を止めた僕は車内で深呼吸を何度か繰り返した。



ふいにコンコンとノックをする音が聞こえて、
視線を向けると、そこには大夢さんの姿をとらえる。

「おぉ、冬生、今日は弟の送りか?」

「おはようございます。
 そうです。瞳矢と真人くんを学校に送って、
 今着きました」

「まっ、冬生の中心は、家族ばっかだからな。
 だけど時には、自分のためにゆっくり時間を使ってやれ。
さっ、今日は朝からオペが三件だったな。
 そのうち、一本は院長のオペだしな。
 きっちり勉強しろよ」

「一応、手技の手順の予習はしてきました。
 実際にチームに入ってるわけではなく、
 今回は見学ですけど、院長のチームに入った想定で、
 一通りはシュミレーションしてきました」

「おぉ、優秀優秀。
 まっ、院長の回復オペの前には、
 心臓カテーテルの立ち合いも入ってるよな。
 そっちは、今日実際に執刀も予定されてる」

「はい。
 カテーテルの方は、練習で一通りさらいましたが、
 実践では入れやすい血管ばかりではないと思うので
 今は不安が多いです」


病院での研修は、やりがいもあるけど不安も多い。

そんな不安を顔に出すことは患者さんに悪影響となるから、
隠し続けて堂々とする。



暗示のように、何度も「大丈夫」と念じながら
研修内容をこなしていく日々。



「おっ、じゃまた後でな」

大夢さんは病院内に入ると次々と話しかけられる患者さんとの日常会話を繰り返しながら、
何処かへと忙しなく移動していった。


エントランスに存在感を告げるグランドピアノ。




そのグランドピアノを見つめながら、
左手で必死にピアノを練習している瞳矢を思い出す。


指が動かせづらくなって、
一度は絶望した瞳矢。

だけど……瞳矢は、いつの間にか自分で力強く歩き出してた。



今も動かすことができる、手や指で必死に日常生活を過ごし、
音楽を続ける道を模索する。


どんな形になっても自分のやりたい未来を叶えたい瞳矢。
そんな瞳矢をサポートするのに必死な真人くん。


それぞれの距離感が時折、二人をギクシャクさせる。


「冬生、此処にいたのか。
 少しいいか?」


そういって僕は院長の言葉で、院長室へと誘われる。


「少し付き合え。
 大夢には連絡してある」

そんな一言から始まった僕の前には、
院長がいれた紅茶が広げられる。


「ダージリンのファーストフラッシュだそうだ。
 先日、冴香さんがくれてね」

そういいながら、院長はカップを口元に運んだ。


「冬生、瞳矢君の様子はどうだ?」

「先月、ラジカットの4クールが終わって、今は休薬期間です。
 明日からまた次のクールが始まります」

「進行具合は?」

「ラジカットが治療薬ではないことを突き付けられますね。
 日によって違いまずが、右手のむくみが最近は酷いからなのか、
 文字が書きにくそうです。
 細いペンが持てないため、今はペンにスポンジを巻き付けたものを
 握りながら書いています」

「そうか……。
 今は右手の症状の自覚が強く続いているんだな」

「右手のみで今は目立った症状が出ていなくて、僕もホッとしています。
 今は残された左手で奏でるピアノを目標に瞳矢は走り始めました。

 だけど危ういのは真人君かな。
 真人君は心から瞳矢を心配して行動をしているのは伝わるんです。
 だけどそれがどこか、迷走してる」


迷走という言葉を紡ぎながら、それが僕自身にも課題であることも自覚してる。

「わかった。
 真人君ことは私がフォローするとしよう。

 また改めて、檜野の自宅へと挨拶に行くが、
 左手のピアニスト、いいじゃないか。
 瞳矢君の夢も、目標がある方が張り合いがあるだろう。

 今度、うちの病院のエントランスで演奏会をセッティングしよう。
 そこで瞳矢君にも演奏してもらえたら嬉しい。

 うちのピアノは、そうやって皆が演奏して紡ぎ続けてきたピアノだからな」


「有難うございます。
 瞳矢も喜ぶと思います。紅茶、ごちそうさまでした。
準備して朝の回診行ってきます」

「あぁ。
 冬生、今日のカテーテル頑張りなさい」


そういった院長の視線の先には、
僕の両親の写真。



両親の方に視線を向けて『行ってきます』と心で呟く。


ゆっくりとお辞儀をして院長室を後にすると、
準備を終えて医局へと顔を出す。

すると大夢先生が準備を終えて、僕が到着するのを待ってくれていた。


「さて、冬生、今日も行こうか」

気を引き締める1日の始まり。



入院患者の回診、
外来患者の診察。

そして診察の中に割り込む、カテーテル治療。



運命の時間。
患部へとうまく入れるために、
最初に数種類ある中からガイディングカテーテルを選択して
局所麻酔したところから慎重にカテーテルを挿入していく。

モニターを見ながら、指先に微かに伝わる感触を手掛かりに。


「あぁ、2番が細くなっているのね。
 予定通り、そこでバルーンを膨らませて留置しよう」

大夢さんの声を受けて、次々に手順を終えて、
無事に患者さんを送り出した。


「冬生、お疲れ。
 じゃ、次行こうか」

次の手術に向けて、大夢さんの意識は変わっていく。
はじめて一人で成功することができた。
それが少しだけ僕の心を満たしてくれた。


午後からは手術の見学でオペ室へと入り、
長い1日が終わろうとしていた。

「おいっ、冬生、この後、付き合え」

大夢さんに誘われて、
自宅に晩御飯はいらないと一言連絡をすると、
大夢さんと待ち合わせのお店へと車を走らせた。


「おっ、遅くなって悪いな」


そういって姿を見せた大夢さんの後ろには、
二人の先輩が顔をのぞかせる。

学生時代、大夢さんと共に学院を背負っていた総会メンバーの二人。


「裕先輩、天李先輩」

「久しぶりですね。冬生」

「ご無沙汰しています。
 裕先輩。天李先輩、いつも瞳矢がお世話になっています」

「おっ、行くぞ。
 腹減ったから飯にしよう」


ちょっと緊張した空気をほぐすように、
大夢さんが僕を引っ張って店内へと入っていく。


個室に通された僕は、
3人の先輩たちに交じって心の整頓をする。


勉強会も兼ねたような情報交換から、
たわいのない会話の中から、引き出されていく僕の本音。

裕先輩の話術に心のうちを吐き出していくうちに、
クリアになっていく思考。


テーブルいっぱいに並べられた食事がなくなり、
お開きになるころには22時近くになっていた。



「冬生、すこし表情が変わりましたね。
 また何かあれば、何時でも連絡してきなさい。
 裕真も心配してましたよ」

「有難うございます」

「冬生、僕からはこちらを。
 最新のALSの文献です。
 瞳矢君のために少しでも良いと思われる治療を探していきたいと思っています」

「天李先輩には瞳矢の希望を育ててもらいました。
 左手のピアニスト。その音楽に出会っていなければ、今も瞳矢の世界は閉ざされたままだったかもしれません」

「それは良かった。
 実は、今度……泉さんのコンサートがあって、
 僕は招待されていて顔を出すですが、瞳矢君もどうですか?
 勿論、冬生も一緒に……」

「有難うございます。
 弟も喜ぶと思います」


気分転換が出来たそんな時間。

三人の先輩たちと別れて、
僕は車の運転気席に乗り込んで、
和羽へと一本電話をいれる。



「お疲れ様、冬」

「遅くなってごめん。
 久しぶりに、悧羅の時に三人の先輩と食事していて」

「遠慮しなくていいのよ。
 冬は私たちに遠慮しすぎなのよ。
 瞳矢の件があって、私たち家族も冬を頼りすぎてるってずっと思ってた。
 だからこうして、冬が自分の時間を大切にしてくれることが私には嬉しいから」

「有難う、和羽」

「気を付けて帰ってきてね」


和羽との電話を切って、
車を走らせながら、和羽たちにも心配させていたことを知った。


僕もいろいろと見えてなかったものが沢山あったんだ。
僕が支えるのに必死にあがいていた間も、
僕自身が不安材料になってた。



二人の弟のすれ違っていく心を
繋いでいけるように……。



今、僕が手伝えることを探していこう。


そんな風に思えた一日だった。
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