坂道では自転車を降りて

 彼女はまた目を閉じた。なんでこんなに素直なんだろう。分かってるのか、分かってないのか。すっげー微妙。でも、もう少し顎を上に上げてくれないと、やりにくい。やっぱり分かってないのかな。俺は彼女の前髪を手櫛で整えるふりをして、彼女の顔を上げさせた。今だ。やれっ。やってしまえっ。

 俺の分厚い唇が、彼女の可愛らしくて柔らかい唇に触れる。ほっぺたとかくちびるとか、全てがふにふにと柔らかくて、吐息は果物のような甘い香りがした。本当は唇の味を確かめたかったけど、そんな余裕はなかった。

 彼女はびっくりして、身を引いた。茫然と俺の顔を見ている。やっぱり分かってなかったのか。
 俺は急に照れくさくなって、急いで彼女の手から鞄を取り返し、傘を返した。そして自分の傘を広げて歩き出した。

 彼女は少し遅れて俺の後ろをついてきた。ドキドキが治まらない。彼女は何も言わない。やっぱり、止めとけばよかった。というか、、ちゃんと、キスしようって言ってからすればよかった。こんな奪うような不意打ちのキス。多分、ファーストキスだったのに。ごめん。ホントにゴメン。とか、頭では反省しているフリしてるけど、心の中はフワフワと天国でも歩いている気分だった。彼女にキスした。キスしてしまった。

「じゃあ、また、明日。」
彼女の家の前で俺が言うと、彼女は
「あ、はい。」
と間抜けな返事をして、家の前の石段に上がった。

 俺は彼女から目を逸らしたまま家路を歩き始める。顔がニヤけてしまって、どうしようもない。火照った頬を冷ましたくて、少し上を向いて歩く。と、後ろから足音が追いかけて来た。走る靴の足音は俺の正面に回り込んで、突然抱きついて来た。
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