なつの色、きみの声。
◇
「碧汰!」
制服のスカートを翻し、美奈希と呼ばれた彼女は真っ直ぐに碧汰に駆けてくる。
真っ黒で艶のある短い髪が目の前を通り過ぎた。
まるで、わたしのことは見えていないみたいに、一直線に碧汰の元に向かっていく。
「碧汰ってば、早く着きすぎ! 走ってきたんだから」
「家に寄らずに来たから。美奈希も急がなくていいのに」
わたしの手は届かなかったのに、その肩にたやすく触れる様子に唖然としていると、美奈希さんはようやくわたしの方を見た。
「誰? 学校の知り合い、じゃないよね」
「ああ、海琴だよ。それで、こっちは園田美奈希」
碧汰がお互いの紹介をすると、美奈希さんはすっと目を細める。
「この子が……」
わたしのことを知っているような口振り。
冷たい目線と張り詰めた空気感から、あまり良く思われていないことが伝わってくる。
「あなたのことは、碧汰から聞いて知っています。碧汰にとってのあなたがどんな人なのかも、わかってる」
やっぱり、わたしのことを知っていた。
碧汰がどういう風にわたしのことを話したのかはわからない。
碧汰にとってのわたしがどんな存在なのかも、わたしは正しく理解できているだろうか。
そうであってほしい、はあれど、碧汰の口から聞いたことはない。
「それでも、今碧汰と付き合っているのは私です。今更、邪魔しないで」
わたしを睨みつけて、美奈希さんはきっぱりと言った。
2人の関係は、見ていれば何となく察せた。
それを裏付けられて、体の熱がすっと引いていく。
「美奈希。そういう言い方はやめろ。邪魔だなんて絶対に言うな」
「碧汰は黙ってて」
「美奈希」
諌めるように、碧汰は美奈希さんの肩をぐっと引いた。
美奈希さんもその手に少しだけ怯んで、バツが悪そうに顔を俯ける。
「ごめんな、海琴」
碧汰に謝られたって、美奈希さんの言葉が消えるわけじゃない。
付き合っているという発言を、碧汰は否定しなかった。
それだけで、2人の関係は本当なんだってわかる。
だったら、わたしが邪魔者であることは事実だ。
逃げ出したいのに逃げ場がなくて、言い返せることもなくて、足元から砂に埋もれていくような感覚に陥る。
頭が真っ白になって、浅く息をすることしかできなくなっていたときだった。
「相模! もう6時過ぎてるだろうが!」
「え……あ、大宮くん」
声のした方を振り向くと、さっき美奈希さんのいた場所に大宮くんが立っていた。
慌ててスマホで時間を確認すると、18時10分と表示されている。
時間のことがすっかり頭から抜け落ちていた。
「海琴、あいつと来たのか?」
「そう、同じバイト先の人で、今日は一緒に来てくれたの。碧汰、わたしもう帰るから……」
だから、またねと美奈希さんの前で口にしていいのか迷って、言葉尻が小さくなる。
碧汰の方は振り向かずに歩き出そうとしたとき、スマホを持った手をがしっと掴まれる。
「連絡先教えて」
「ちょっと碧汰」
美奈希さんが止めるのも構わずに、碧汰は自分のスマホを操作する。
画面のロックを解除したスマホを、碧汰に差し出せずにいると、さっと持っていかれた。
「これで……よし、登録できた」
すぐに戻ってきたスマホには碧汰の連絡先が追加されている。
今の状況を忘れて、嬉しいという気持ちが込み上げる。
手のうちにあるスマホを大事に握ると、碧汰が言った。
「家に着いたあとでいいから、連絡して」
「いいの?」
「絶対にして。待ってる」
美奈希さんがいるのにいいの? という意味も含んでいた。
わたしなら、恋人が他の女の子と連絡を取り合うことを良いとは思わない。
他校の人で、昔からの仲だというのなら尚更。
念を押すように、待っているからと繰り返されて、美奈希さんの方は見ることができずに頷いた。
大宮くんが待っている。
行かなきゃいけない。
わかっているのに、どうしても、この場を去ることが怖かった。
碧汰と目が合って、瞳が潤んでいることがバレないように、ぎゅっと強く瞬きをする。
「会えてよかった」
そう言った碧汰の目も、少しだけ潤んでいるような気がした。