蒼いパフュームの雑音


ライブハウスから歩いて5分ほど行った所に打ち上げ会場はあった。

 探し当てたファンの子が会場の居酒屋の前で溜まっている。

いつもメンバーが揃い打ち上げが始まるまで時間がかかるので、先に入り別の席で呑んでいる。

 今日も咲良と先にビールを乾杯した。

「で、どうなの?最近は。」
「どうって?」
「柊よ!」

私はニヤっと笑い半分程のビールを飲み干した。

「別に、変わらないよ。束縛しないし、束縛されない。男も女もご自由に、って感じ。」


 咲良は枝豆をつまみながら、眉間にシワを寄せた。


「紅、その変な強がり辞めなさいよ!あんた達もう付き合い長いんだから、そろそろ考えた方がいいんじゃないの?」

(そんなのわかってるよ)

いつも思っている事を、他人から言われると少しだけ腹が立つ。

軽く頷いて私は店員を呼んだ。
「すいませぇーん。ビールくださーい。」
「ちょっと、聞いてる?何かアクション取らないと、あのドレンチェリーみたいな甘ったるい女に取られちゃうわよ!」


 咲良が枝豆を持ったまま熱くなるので、その枝豆を奪い、つまみながら言った。


「取る、取られる、って感じじゃないんだよね。」



あからさまに大きなため息をついた咲良に、私は二杯目のビールを飲み干して、

「ねぇ、ダイヤモンドとか降って来ないかなぁ??」

「はぁ?」




 宴会場には50人は居るだろう。
様々なバンドのアーティスト、先輩や  後輩、彼女や奥さんやマネージャーやレーベル関係の人、ローディーさん、沢山の人が座っていた。


 要さんが私達を見付けると手招きをした。

「こっち座って!紅も今日はスタッフ扱いだから、打ち上げ代いらないから。」

そう言ってメンバーの向かい側の席に半ば無理やり座らされた。
 乾杯の合図と共に次から次へとビール瓶が運ばれる。

 ボーカルの七緖が紅の前に座って、私に乾杯をねだった。

七緒くんはcobalt Airの中でも一番年下の25歳。

背は高く無いけど、締まった体とベビーフェイスのギャップにファンの女の子からはとても人気がある。

そして、自分はゲイだと、前回のライブで突然のカミングアウトをするも、人気は衰えるどころか、七緒目当てのファンが増えたほどだ。

グラスを合わせて「お疲れ様っ」とウィンクをして隣の柊の席をずらした。

「ライブ来るの久しぶりだよな?」
「うん、色々あったからさ」

私は柊とは目を合わさず話した。

「来週は?」
「来週は、大阪にライブに。」

「お。rosé rougeだろ!実は、俺たちも来週末大阪なんだぜ!ライブ来いよ!」

思わず「えっ!?」と言ってしまった。

全くそんな事考えても居なかったし、それに未奈と観光する予定も組んじゃってるし、予想もしなかった柊の言葉に思わず、

「未奈と約束してるし、行けるかわからないよ。」

と、かなり冷たく言い放ってからはっとした。

「えー!なんだよそれー。来いよー!いつから?ホテルは?どこ?俺が行ってもいい?」


出た、柊の甘え攻撃。


この人の凄いところは、人目を気にせず、他の女が居ようがお構いなしで、甘えてくる。


 向かいにいた柊は長い足でテーブルをまたぎ、当たり前の様に隣へ座り腰に腕を回した。

「ちょっ、瞳ちゃん来てるんでしょ?」
「大丈夫、見えないところに居るはずだから。」

なんとなく、今日は柊の隣の居心地が悪かった。

「ちょっとトイレ行ってくる。」

私は腰に回された腕をほどいて、立ち上がった。




トイレの個室から出ると、鏡の前に瞳が居た。
「あの、いい加減にしてもらえますか?」
「へ?」


あまりの突然の言葉に、気の抜けた声が出てしまった。


「柊は優しいんです。だから、あなたにも優しいんです。私の方が柊を愛してます!あなたのせいで私も柊も迷惑…して…るんです…だから…」


息もつかずに言い切ったと思ったら、泣き出してしまった。

(ああー、またこのシーン…。)

泣き声のタイミングで、外で待機していたのであろう取り巻き達が、トイレ内に入ってきた。


そして私の悪口大会が始まった。


(あー、もう、だから嫌なんだ。)


 そう、数ヶ月前のライブの時もこんなんだった。
打ち上げ最中に瞳が泣き出して、みんなでフォローに回って、全然飲めなかったんだ。

  私はハイハイといい、彼女らの横を通りトイレを出た。

(メンドウクサイ)


これ以上ここに居ると、さすがの私も耐えられないので、そっと荷物を取り、店を出た。



タクシーの拾える通りまで歩いて居ると、

「大変ですね。」


振り返ると、さっきライブハウスに居たショートカットのかわい子ちゃんだった。


「さっき、みてました。私、紅さんの方が柊さんとお似合いだと思います。」

「え?なんで私の名前…」

「あ、ファンの中で有名です。背が高くてかっこいいし、柊さんの彼女さんだって。」


怪訝な顔が戻らない。

歩く私の歩幅に合わせて、その子はちょこちょことついてくる。


「メンバーの彼女さんて大変ですよね。私尊敬しちゃいます。柊さんもお優しいから他の女性がほっとかないんですよね。」

「あ、ごめん、私、彼女じゃないから。」

「え!そ、そうなんですか?何かすみません。えっと、本当にごめんなさい。」

 必要以上に謝る彼女を見て、こちらまで申し訳なくなり、

「いや、ごめん。あの、別に気にしないで。」

そう言って、向こうから来たタクシーを拾い、乗り込む私に彼女は

「あ、詩織です。新崎 詩織です。」

 私、多分顔ひきつってる。
作った笑顔で軽く会釈をしたら車が出発した。


(なんなの、なんなの。私なに謝ってるの。てゆうか、誰だあの子。ちょっと怖い。)


 とりあえず、帰った事を咲良にだけは伝えたかったので、携帯を取り出すとメッセージが来ていた。

『ちょっと!何また帰ってるの!瞳が面倒くさいことになってるわよ!』

(はぁ、やっぱり。)




窓の外、シートに身体を沈めてまだ暗い街を眺めていたら、自然とため息が出た。

(…ラパーチェ寄ってこ。)



シャラーン シャラーン


ドアを開けると、シルバーのガムランボールが来客を奏でるこのお店。

 マスターの強志さんは年齢不詳だが、いつも取り留めの無い私の話を聞いてくれて、時には怒り、時には慰めてくれるいわばお父さんのような存在だ。

「いらっしゃい。今日は遅いね。」

「強志さんー!聞いてぇー!」

今夜も太陽が昇るまで愚痴大会だ。

 やっと美味しいビールにありつけた私は、時間を忘れて朝まで喋り続けた。

 怒りに任せて飲み続けたせいか、さすがにアルコールが回ってきたので強志さんにお会計をしてもらった。

帰り際に、
「ねぇ、紅ちゃん。ダイヤモンドも降って来るの待ってないで、こっちから向かって行って、磨いて光らせるくらいしないと駄目な場合もあるよ。」


 強志さんの言葉ってどうしていつもキラキラしてるんだろう。

足元はフラフラだけど、今日一番の笑顔が作れた気がする。

 軽く手を振り、入り口のドアノブに私が触れるよりも早く、ガムランボールが来客を奏でた。



「強志くん、まだ大丈夫?」



170センチの私より背が高く、ニットをかぶり、メガネをかけた男が入ってきた。
私は、その人の横を通り外へ出た。




昇りたての太陽に、彼の香水だろうか、マリンノートの優しい香りがまだ残っていた。

< 5 / 56 >

この作品をシェア

pagetop