蒼いパフュームの雑音
 柊から連絡が来たのは、時計が3時を指した頃だった。

「お待たせ〜。どうするー?」
「そしたらラパーチェ行ってて。すぐ行くよ。」

  お昼のラパーチェは、強志さんのお姉さんがカフェを営業している。
  美味しいランチとビールが飲めるので、休みの日に来ることが多い。

  ドアを開けると、見慣れた背中を直ぐに見つけられた。

「お待たせ。」

  声を掛けると、くしゃくしゃの笑顔で私を迎えてくれた。


  ビールを飲みながら、好きなアーティストの新譜が出たとか、ギターの理玖が発掘した美味しいスウィーツのお店の話とか、はっきり言ってどうでもいい会話が続いた。


「それでさ、理玖がさ、」
「こないだ、瞳ちゃん、大丈夫だった?」


  私、いじわるだ。
  理玖が楽しそうにすればするほど、イライラする。

  聞くつもりの無かった質問を、突然投げつけたので、柊は少し動揺した表情で私を見た。

「え?あ、うん。大丈夫だったよ。」

  私は手元のビールの水滴を親指でなぞりながら言った。

「柊のこと、私の方が愛してるって、涙こらえながら訴えられた。」

「……うん、あの後戻って来て号泣して、俺責められた。七緒と理玖が慰めてたよ。」
「七緒くんと理玖さんが?みんな優しいなー。私なんて、ほったらかしちゃった。」

  反省はしてないけど、メンバーに任せてしまったことを申し訳なく思った。

「紅も優しいよ。文句も言わず、こうやって俺と居てくれるんだもん。」

  だって、そおゆう約束で傍にいるんだもん。
お互いに干渉しない、深入りしない。




私達がこの関係になったのは5年ぐらい前。
その日、私は長年付き合っていた男と別れたばっかりだった。
私のことをよくわかってくれたいい男だった。
いい男だからこそ、他の女に取られた。


咲良から誘われていたライブの打ち上げで、やけ酒してしまい、
珍しく具合が悪くなった私は、店の外で休んでいた。

その時、柊がいたずらな顔で私の横に座り、



「このままどっか行っちゃおうか?」


そう言って私の手を引っ張り、タクシーに乗った。

「どちらまで?」
「海!一番近い海まで!」


困り果てた運転手だったが、お台場の海に連れて行ってくれた。

何が凄いって、お財布も持たずにそんな事を言ってしまうこと。

無謀にも程がある。

結局、財布を持っている私が払うことになったのだけど、それがなんだか笑えて来て、人工の浜辺でゲラゲラ笑ったのを覚えている。

朝日が登りかけたころ、キスをした。

そして私から誘った。
この時は誰でも良かった。
抱きしめてくれて、その場限りの愛撫でも。

目に入ってきたホテルに、私が腕を引いて入った。


本能のまま、彼を抱いた。
そう、抱かれたんじゃなくて、抱いた。
裸のまま、朝のベランダでキスをした。

朝目覚めた時、


「また、会いたい。お互い束縛しないで、会えたら会うって感じ。」

柊は私の顔を引き寄せ、

「束縛したくなるかもよ?」
「大丈夫。そういうの、もう面倒。」


そんな始まり。
ほんと、どーでもいい始まり。

好きか嫌いかなんてどーでも良かった。



  でもね、柊は気付いていないと思うけど、私だけを見ていて欲しいって、少し思ってた時期もあるんだよ。


  今はわからなくなってるけど。






「懐いた犬が手放せなくなる気分。」

「うぇー、なにそれ。俺って犬なの?」

「そう、飼い主がたくさん居るわんちゃん。」

「あははは、優しくて甘えさせてくれる御主人様は紅だけだよ。」



(なんだかなぁ。また柊のペースに乗せられてる気がする。)


  時計は7時を回ったところだった。 
いつの間にか、カウンターの中には強志さんがカクテルを作っていた。
未奈からのメッセージが来て、今の時間を知る。


『遅刻厳禁!飲み過ぎ注意だよ!』


  まるで見られてるかのような内容に、ドキッとする。


「じゃあ、明日の準備もあるから今日は帰るね。」


  あからさまに残念そうな顔をした柊だったが、

「そだな、俺も用意してないや。でも会えて良かった。」


そう言ってニッコリと微笑むと、


「俺、もう少し飲んで行くよ。外まで送る。」


  カウンターを立ってドアに向かう。

  ガムランボールがドアが閉まるのを奏でると、柊が


「キスしていい?」

「なんで、そんなこと聞くの?」

「紅が…紅の気持ちが最近此処に無いような気がしてさ。なんか、何処か遠くへ行ってしまいそうだから。」



  この人はなんて感が良いのだろう。

この気持ちが離れるのは、きっと時間の問題。
  私は柊の頭を引き寄せてキスをした。


「まだ、大丈夫。柊の傍に居れるよ。」





  手を振って、バーを後にした。
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