奇聞録九巡目



古戦場であったり、戦禍を受けた場所であったり、はたまた、事故現場や殺人現場。



日本は狭い。



狭い場所にひしめき合う以上は過去の何らかの因縁の場所に生き続けなくてはならい。



余程強い思いを持って、亡くなられた人や、自分の死に気付かずそこに止まる人。


あるいは動物であったり、植物であったり。



元を辿れば生きていたと言う証。



生前に恵まれた人生を送り、自分に相応しい場所で死ねたと言う生き物ばかりではない。



不意に、不本意に、仕方なくと言う死も、私達が自覚しないだけで、沢山有るのかも知れない。




芸術や文化は、誰かが残した生きていた証であって、今尚我々にも認識する事ができる唯一の幽霊や、心霊の形かも知れない。




死は当たり前のように身近で、死によって支配された生命は、生きていたことを証明するため、必死に生物を動かす。



日常に劇的な変化が起きたとしても、命は最後まで死に抵抗する。




しかし、人は特に、自死を選ぶ事ができる。



死をも意思で支配できる。



それだけ優れた生物なのだから、死後の世界観はきっと途方も無く広がっているんだろう。



怪談や、心霊現象や、幽霊騒動は、私には消えてしまう命の儚さと、忘れてしまう人の悲しさが、根本のような気がしてならない。



身近に死を感じ、同時に生も感じ、普段はなるべく考えないように折り合いを付けて行く。



道徳に身を隠し、生死に関わらないように生活をする。




そこで、ある程度死を感じるために怪談や怪奇現象を引っ張り出す。

死を確認するために。




それで良いのだ。



どうか、願う事なら、まずは心霊スポットに行く前に、身近な人の墓所なり、仏壇なりを訪ねて貰いたい。


手を合わせてあげてほしい。



そして、美術館なり博物館なりに行き、今も生き続ける奇跡を感じて欲しい。




スリルとリスクは、それからでも遅くはない筈だから。





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