柴犬主任の可愛い人
「残響の君は――」
「純弥のことですか?」
「残響の君、です。名前で呼ばないでください」
「源氏物語みたいに名付けないで下さい」
言っても、柴主任はそれをやめてはくれなかった。
「僕から見れば、残響の君はただ単に、青葉さんと別れたはいいけど、未練は存分にあって。そんなでも奇跡的に好きだと言ってくれる人に甘えているだけの男です。だから、青葉さんがこれ以上優しい言葉をかける必要はないと、僕は思いますけどね」
「……、柴主任は身内びいきな人ですね。きっと」
「そうですよ。だから僕は優しくはないし、怒らせると怖いですよ。残響の君、あいつは特に嫌いです。帰り道に転べばいいんですあんな奴」
「もう会うことはないです。すみませんでした」
そうして、柴主任は自分のハンカチを取り出して、水分の溜まった私の目にそれを押し付けてくる。
柴主任なりに慰めてくれてるんだと思う。けどぐいぐいと眼球は圧迫されるし、もう、一緒にいてくれただけで充分だ。だからじゃないけど、からかうみいに鼻まで拭いてこようとするのには断固拒否した。今鼻を押さえてる指を離したら絶対に糸をくし。女子としての矜持だ。
目の余分な水分は柔らかなハンカチに吸収されていった。花粉のせいだと強がってみても、それはばれてしまっているんだろう。意地でも今日は目尻から零れさせなかった私に苦笑いし、武士道精神ですかと、意味はわからなかったけどおどけてくれた。
どうでもいいことを織り込みながらの慰めは、適度にほっこり出来て私にはちょうど良い。
「そういえば、今日私が会社出るとき、広瀬に何の相談だったんですか?」
「なんですかその邪気のない質問!!」
青葉さんはもう少し疑う心を持つべきですと説教されるけど、ちょっと訊いてみただけだ。多分そうなんだろうと推測する私の心など、邪気どころか瘴気まで漂ってるような気がするよ。
一応訊ねてみれば、やはり私を広瀬から引き離してくれるものだったらしく、けれど自分のためだとも言う。
「だって広瀬くんが来てしまえば、僕がだらだら出来なくなるじゃないですか」