異聞三國志
翌朝、司馬昭とともに手勢千名を連れて、函谷関へと、士郎も来た。


司馬昭は着くなり

『この司馬昭、いや司馬一族は蜀につくことにした。魏の運命は風前の灯火。儂らに続くものは、開門せい。』

魏軍には動揺があったが司馬懿がつけた手勢が開門した。


予め、玄武隊を蜀陣営へ送ってあったので、開門するやいなや、蜀軍は怒涛の如く、殺到した。


司馬懿の手勢以外の兵は茫然と見送るか、我先にと蜀軍に加わるかだった。


洛陽まで順調に進軍したところ、蜀軍の前で洛陽の一部から火の手が上がった。


司馬懿の反乱により、洛陽は呆気なく開城した。


こうして、魏の首都は蜀の手に落ちた。


諸葛亮はこの戦いで洛陽の東方である人物を保護するように玄武隊に命じていた。


その人物こそ、山陽公となっていた、前の後漢の最後の帝、献帝であった。


洛陽の東方は、呉の軍勢が攻めて来て、献帝を確保する恐れがあったからである。現に、もう呉の軍勢は近くまで来ていたのである。

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