きみの愛なら疑わない

「いえ……お手数おかけしてすみません…」

受話器を置くと立ち上がった。念のため仮眠室を覗いてみようと思った。

浅野さんが退職なんて聞いてないし、書類の期限を守らないなんて何かがおかしい。





非常階段の横に設けられた仮眠室は人の出入りの少ない倉庫の横にあり、通路の空調の音が聞こえるほど静かだ。

通路の角を曲がれば仮眠室に行けるというとき、突然角から今江さんが曲がってきた。

「あっ」

角を右に曲がりたい私と、左に曲がってきた今江さんがぶつかりそうになった。

「ごめんね……」

「す、すみません……」

今江さんは顔を赤くして息を乱していた。

「大丈夫?」

目も潤んでいるように見えた。何かあったのかと心配したのだけど「大丈夫です!」と今江さんは私の顔を見て怒鳴るように言い、横を抜けて慌てて通路を歩いていった。

今江さん、こんなところでどうしたんだろう。この先は仮眠室しかないのに……え、まさか……。

嫌な予感がした。今の浅野さんは女性と不誠実な付き合いをしていたころに戻っている気がしたから。

仮眠室2部屋のうちの右の部屋は確かにドアに『使用中』のカードがかけられ、鍵がかかっているようだ。浅野さんが使用しているのだろうか。
コンコンとドアを軽くノックした。

「すみません……浅野さん?」

中から人の動く気配がして鍵がはずされた。ドアが少しだけ開くと隙間からメガネを外した浅野さんが顔を出した。

「なんだ……今度こそ君か……」

私の顔を見た浅野さんは途端に冷たい顔になった。

「あの……」

心配した気持ちが冷たい表情と声を受けて萎んでしまう。浅野さんは私なんかの顔を見たくもないということなのだろう。

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