GREEN DAYS~緑の日々~
その夜、玲子と瑞恵は人気の無い病院の廊下で医師から説明を受けていた。
「頭部のレントゲン検査は心配ありません。それ以後の検査はもう少し回復してから行いましょう」
玲子は安堵の表情を見せ、医師に頭を下げた。看護婦が促す。
「では入院のご説明しますので」
玲子は階段を下りて行った。瑞恵が病室に戻ろうとした時、洸が現れた。
「あら」
洸は頭を下げた。
「今、眠ったばかりなの」
二人は廊下の長椅子に腰掛けた。薄暗い電気。
「軽い脳震盪起こしただけだから心配する事ないってお医者様が。だけど心配する事はないって言われても、やっぱり心配しちゃうわね。あの子、健康だけが取り柄だから。また噂の種になっちゃうわね。うちの家族、中々有名だから」
瑞恵は無理して笑った。
「父親が家を出て行ったのはもう十何年も前の事なのに。皆知っていた筈だったんだけど。父はね、小さな会社をやっていたんだけど、何だかそれが駄目になったらしくて。去年の終わり位かしら、それが新聞に載っちゃったのね。それから私達の事も少し出たらしくて。私と母はずっとその新聞を読まない様にしてたの。ほら、うちには傷付きやすい年頃の可愛らしい女の子が一人いるでしょ?」
二人は苦笑した。
「だから何となくうちではその話題をタブーにしていたんだけど、それが間違いだったんだわ」
「間違い」
瑞恵は頷いた。
「夏は元々無愛想な子だったんだけど、それでも時には眩しい程の笑顔を見せる時があった。だけど学校でそんな事になっていただなんて。触れちゃいけない問題は、触れなきゃいけない問題だったんだわ。ちゃんと表に引っ張り出して、色々話し合って、夏の悩みを聞いてやれば良かった。もっともっとちゃんと、聞いてやれば良かった。だってあの子のせいじゃないのに。こんな怪我までして」
「怪我は、」
「わかってる。事故だもの。わかってるわ。だけど何でかしら。あの子、何も悪い事してないのに、何でこんな目にばっかり。昔は笑う事もあったのに。本当よ。心から笑って、」
瑞恵は涙を拭いた。
「ごめんなさい。身内は甘いわね。何か買って来るわね」
瑞恵はそう言って階段を下りて行った。洸はそっと病室に入った。夏穂は頭に痛々しい程の包帯を巻いて深く眠っている。椅子に座り、夏穂の頭をそっと撫でる。
「…俺は、お前のこんな姿を見る為にここに来たんじゃ」
外からの風。カーテンがふんわりと揺れる。無音の部屋。夏穂は目覚めない。遠くの部屋から聞こえて来る何かの機械音。洸は自分の額と目を、自分の震える手で鷲掴みにした。力が欲しい。何もかもを変えられる力を。すべては夏穂の為に。
「あら」
玲子が入って来た。洸は立ち上がった。顔がなるべく見えない様、前髪を自然に垂らす。
「えっと、」
「夏穂…さんの学校で講師を」
「ああー、瑞恵が言ってた。わざわざお見舞いに?、ありがとうございます」
洸は頭を下げ、暫くしてから病室をそっと出て行った。玲子は首を竦めた後、夏穂のベッドに目をやった。ベッドの横の小さなテーブルの上に夏穂の腕時計が置いてある。夏穂と洸のプリクラ。玲子は何気なくそれを見つめた。そして愕然とした。
「お母さん」
瑞恵が入って来る。
「先生がね、…お母さん?」
玲子の手が震えている。
「どうしたの」
「みっちゃん、あの、あの、ほら、夏穂の学校の先生」
「先生?」
「ギター、ギターの」
「ああ、今まで来てくれてたのよ。おかしいわね、帰ったのかしら」
玲子は慌てて駆け出した。
「お母さん!」
洸は病院の玄関の所で振り向いた。玲子が追いかけて来ている。
「待って、待ってちょうだい」
玲子は息を整えた。次の言葉が見つからない。洸は俯いている。
「貴方、貴方…」
どこからか信号音。洸は駆け出した。
「待って!」
後ろからやっと瑞恵が追い付く。
「お母さん、どうしたの」
「あの子だったのよ」
「何が」
「あの子だったのよ。みっちゃん、あの子だったのよ」
瑞恵は息を飲んだ。
「頭部のレントゲン検査は心配ありません。それ以後の検査はもう少し回復してから行いましょう」
玲子は安堵の表情を見せ、医師に頭を下げた。看護婦が促す。
「では入院のご説明しますので」
玲子は階段を下りて行った。瑞恵が病室に戻ろうとした時、洸が現れた。
「あら」
洸は頭を下げた。
「今、眠ったばかりなの」
二人は廊下の長椅子に腰掛けた。薄暗い電気。
「軽い脳震盪起こしただけだから心配する事ないってお医者様が。だけど心配する事はないって言われても、やっぱり心配しちゃうわね。あの子、健康だけが取り柄だから。また噂の種になっちゃうわね。うちの家族、中々有名だから」
瑞恵は無理して笑った。
「父親が家を出て行ったのはもう十何年も前の事なのに。皆知っていた筈だったんだけど。父はね、小さな会社をやっていたんだけど、何だかそれが駄目になったらしくて。去年の終わり位かしら、それが新聞に載っちゃったのね。それから私達の事も少し出たらしくて。私と母はずっとその新聞を読まない様にしてたの。ほら、うちには傷付きやすい年頃の可愛らしい女の子が一人いるでしょ?」
二人は苦笑した。
「だから何となくうちではその話題をタブーにしていたんだけど、それが間違いだったんだわ」
「間違い」
瑞恵は頷いた。
「夏は元々無愛想な子だったんだけど、それでも時には眩しい程の笑顔を見せる時があった。だけど学校でそんな事になっていただなんて。触れちゃいけない問題は、触れなきゃいけない問題だったんだわ。ちゃんと表に引っ張り出して、色々話し合って、夏の悩みを聞いてやれば良かった。もっともっとちゃんと、聞いてやれば良かった。だってあの子のせいじゃないのに。こんな怪我までして」
「怪我は、」
「わかってる。事故だもの。わかってるわ。だけど何でかしら。あの子、何も悪い事してないのに、何でこんな目にばっかり。昔は笑う事もあったのに。本当よ。心から笑って、」
瑞恵は涙を拭いた。
「ごめんなさい。身内は甘いわね。何か買って来るわね」
瑞恵はそう言って階段を下りて行った。洸はそっと病室に入った。夏穂は頭に痛々しい程の包帯を巻いて深く眠っている。椅子に座り、夏穂の頭をそっと撫でる。
「…俺は、お前のこんな姿を見る為にここに来たんじゃ」
外からの風。カーテンがふんわりと揺れる。無音の部屋。夏穂は目覚めない。遠くの部屋から聞こえて来る何かの機械音。洸は自分の額と目を、自分の震える手で鷲掴みにした。力が欲しい。何もかもを変えられる力を。すべては夏穂の為に。
「あら」
玲子が入って来た。洸は立ち上がった。顔がなるべく見えない様、前髪を自然に垂らす。
「えっと、」
「夏穂…さんの学校で講師を」
「ああー、瑞恵が言ってた。わざわざお見舞いに?、ありがとうございます」
洸は頭を下げ、暫くしてから病室をそっと出て行った。玲子は首を竦めた後、夏穂のベッドに目をやった。ベッドの横の小さなテーブルの上に夏穂の腕時計が置いてある。夏穂と洸のプリクラ。玲子は何気なくそれを見つめた。そして愕然とした。
「お母さん」
瑞恵が入って来る。
「先生がね、…お母さん?」
玲子の手が震えている。
「どうしたの」
「みっちゃん、あの、あの、ほら、夏穂の学校の先生」
「先生?」
「ギター、ギターの」
「ああ、今まで来てくれてたのよ。おかしいわね、帰ったのかしら」
玲子は慌てて駆け出した。
「お母さん!」
洸は病院の玄関の所で振り向いた。玲子が追いかけて来ている。
「待って、待ってちょうだい」
玲子は息を整えた。次の言葉が見つからない。洸は俯いている。
「貴方、貴方…」
どこからか信号音。洸は駆け出した。
「待って!」
後ろからやっと瑞恵が追い付く。
「お母さん、どうしたの」
「あの子だったのよ」
「何が」
「あの子だったのよ。みっちゃん、あの子だったのよ」
瑞恵は息を飲んだ。