その愛の終わりに
旅行から帰ってきた義母をねぎらい、二人だけの晩餐を終えてから、ようやく美都子は一人になれた。
友人とのお遍路巡りは大層楽しかったらしく、帰ってからは終始旅の話しであった。
普段は美都子のプレッシャーにならない程度に孫を催促してくるが、今日ばかりはそれがない。
出来る限り長く、旅の思い出に浸り、孫が欲しい願望を忘れていてほしい。
ため息をつきながら、美都子は女中達を下がらせ、自室に引きこもった。
家を出ていった彼女が無事戻ってきたことに使用人達は安堵したが、刺激して再び家出されないよう、腫れ物を触る扱いである。
妙に緊張感のある美都子と使用人達の距離に、幸いこの屋敷の女主人は気づくことはなかった。
義直の母は、息子とは違い、やや人の機微に疎かったのだ。
「きっと、落ち着いたらまた孫の催促が始まるわ」
義母は、息子の仕事の忙しさを知っているため、二年間は口を出さなかった。
しかし、最近徐々にだが義直の海外出張は減っている。
仕事に余裕が出来てきたのであれば、次は後継ぎをと望むのは自然な流れだ。
ドレッサーの前に座り、肌の手入れをしていた美都子は、ふと首筋に手をあてた。
以前、書斎で抱かれた時につけられた跡が、もう薄くなっている。
三週間後に義直が帰ってくるが、その頃までには消えてなくなっているだろう。
さっさと消えればいい。
美都子の心に住まうもう一人の自分が、冷たくそう吐き捨てた。
不特定多数の女を抱いた男のつけたしるしなど、気持ち悪いとしか言えない。
そう思う一方、己もまた同じ道に足を踏み入れてしまった事実が重くのし掛かる。
肉体的に結ばれずとも、心を許し、積極的に触れあった昨日の一時は、義直の不貞となんら変わりはない。
しかしそれでも、背中、肩、唇と、山川の熱が伝わった場所を思い出しては、胸が高鳴る。
罪悪感がなくなったわけではないが、それでも山川のことを想うのは、今の美都子にとって唯一の幸せであった。
「会いたい……」
ただ思っていただけの言葉が、油断した瞬間に口から飛び出た。
はっとして周囲に誰もいないこと、部屋の外にも誰もいないことを確かめる。
常に人目に晒される立場にありながら、迂闊な発言であったと、美都子は静かに反省した。
もう寝ようとランプの火を消し、寝室が暗闇に包まれると、窓の外で雪がちらつくのが見えた。