好きだと言ってほしいから
 彼は優しいから、私の家庭の事情を考慮して私を必ず夜十時までに自宅へと送り届けてくれる。
 彼は他人と言い争ったりしないから、私が家に行きたいというと必ずいいよ、と言ってくれる。
 彼は相手の気持ちを優先するから、私の必死の告白を断らなかったのかもしれない……。
 『好き』じゃないけど、『嫌い』でもないから。緊張して何を言っているか分からない後輩の姿にほんの少しでも同情が混じっていたから……彼は私を受け入れたのだろうか。

 誰もいないロッカールームで私はもう一度、ポケットのキーホルダーを握り締めると今度は盛大に溜息をついた。
 逢坂さん、あなたに「好き」と言ってもらうには、どうしたらいいですか?


 庶務課の私の仕事は一言で言うとほぼ雑用だ。
 いつも早めに出社する私は、みんなが来る前に全員のデスクを雑巾で拭き、植物に水遣りをする。それが終わるとぽつりぽつりとみんながやってくるので、私はパソコンを起動してメールをチェックするけれど、私のところに重要な急ぎの用件は入ってこない。だからいつものんびりと目を通す。

 廊下やトイレ、その他会議室など建物全体の掃除は、ちゃんと業者から専任の人を派遣してもらっているからやる必要はないけれど、急な来客があったときなどは簡単な掃除をお願いされることはある。

 だいたいが電話に出たり、郵便物を配ったり、社内行事の資料を作成したり、出張申請があればホテルの手配、飛行機や新幹線のチケット予約など、その他にも細々とした仕事が回ってくるのでそれを順番に処理していくうちに定時になる。私の仕事はほとんど定時で上がれるからありがたい。反対に、海販部の逢坂さんが定時で上がれることなんて、ないに等しいのだけれど。

 この日も一日の仕事を定時の十七時半で終えた私はデスクを片付けると席を立った。「お先に失礼します」と一声掛けて社員通用口へと向かう。私と同じように定時で上がれる社員は大勢いるから、この時間、指紋認証の社員通用口を通り抜けるのには困らない。ほとんどの人が前の人に続いて次々とドアを出て行く。私もそれに続いた。
< 11 / 83 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop