好きだと言ってほしいから
 納得できないのか、いつまでもブツブツぼやいている葵ちゃんに、私はそっと微笑んでみせた。制服に着替えて長い栗色の髪をシュシュで簡単に束ねるとロッカーの扉を閉じる。既に葵ちゃんはロッカールームを出ようとしているところだった。彼女がパッと振り向いた。

「あ、そうだ、麻衣。今週末の飲み会、時間が変更になったから後で連絡するよ。それと、今回は平岡(ひらおか)くんも来るみたいよ」

「そうなんだ。了解」

 じゃあね、と手を振りながら葵ちゃんがドアの向こうに消えた。

 私はそっと溜息をつく。みんなより早めに出社するようにしていて良かった。じゃなきゃ会社のロッカールームで堂々と逢坂さんの話なんて出来ないから。

 私はロッカーに背を預けてしばらくぼんやりしていた。制服のポケットの中には逢坂さんから預かった彼のマンションの鍵が入っている。まるでお守りのように私はそれをギュッと握り締めた。

 逢坂さんは優しい。彼に初めて会ったのは大学に入学したばかりの頃。教室を間違えて急いでいたとき、階段で転びそうになった私を助けてくれたのが彼だった。

 最初は彼の類まれな容姿に目を奪われた。続けてすぐに、心地良く響く低い声に惹かれた。とても素敵な人だと思った。だからその後入った天文サークルで偶然彼と再会し、彼の人柄を知るようになったときには、私はもう完全に恋に落ちていた。それ以来ずっと逢坂さんに片想いをしてきたのだ。

 逢坂さんがこの日栄自動車に就職したと知って、私は死に物狂いで勉強をした。私も卒業したら彼と同じ会社に就職したかったのだ。我ながら不順な動機だということは分かっている。だけど私はどうしても彼と同じ会社に入りたかった。そして、同じ会社に就職できたら、絶対にしようと誓っていたことがあった。それは、大学時代は勇気がなくて出来なかったこと。逢坂さんに想いを伝えることだった。
< 9 / 83 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop