それでも君が必要だ
「美和さんがどうこうという意味ではありません。我が社の資金繰りに問題があるからといってあなたのお嬢さんと婚約をする必要はない、と言っているのです。そもそも、私は我が社がスイ技研さんに事業譲渡をする必要もないと考えています」
……?
事業譲渡って何だろう?
冷静に話す副社長さんとは対照的に柴田専務が大きな声で捲し立てた。
「何を言ってるんだ、智史くん!君は副社長なんだぞ!自分の会社の状況をわかってものを言いなさい!」
「わかっているから言っているのです」
興奮し指をさして非難する柴田専務に向かって副社長さんが視線だけを向けて言い返した時、襖の向こうからカチャカチャと音がして「失礼します」と仲居さんの声が聞こえた。
襖がススッと開いて仲居さんが入ってきたから、副社長さんも柴田専務もいったん座り直して口を閉ざした。
「食前酒と前菜でございます」
運ばれてきたのは、美しい透明な器に三つ並んだ、繊細で色鮮やかな前菜。
仲居さんが器を置く音だけが静かに響く。
でも、仲居さんの配膳が終わるまで待てなかったのか、柴田専務はまた少し腰を浮かせ、副社長さんに向かってさっきの続きを始めた。
「智史君、栗原部長は経営が傾いてどうしようもないシジマ工業を何とか助けようとしてくれているんだ。君があんまり信用しないで突っぱねるから、部長は君に対しても自分の会社に対しても誠意を見せるために、自分の一人娘まで差し出してくださっているんじゃないか!」
柴田専務の勢いに、せっかく落ち着いていた空気がまた荒れ始めた。
私の心もざわざわする。
だって……。
そういうこと、なの?
なんだろう?
なんか違和感がある。
婚約に関して今までこんな風に目の前で揉めたことがなかったからよくわからなかったし、婚約の意味も考えないようにしてきた。
でも、父の誠意を見せるための婚約だなんて……。
そんな婚約ってあるの?
それにそんな誠意、偽物だって誰にでもすぐにわかりますよね?
それって、さっき副社長さんが言っていた茶番ですよね?
そんな茶番劇で難しい交渉をうまく進めるなんて、考えられない。