私は、アナタ…になりたいです…。
「じゃあお大事に。またね」


目を細めて悪戯っぽい顔を見せると、左瞼が少しだけ閉じた。



…ウインクだ。
男性がするウインクなんて初めて見た。

色っぽい。
いや、悪魔っぽい⁉︎


ぼぅ…と後ろ姿を見送って、それからじわじわと目線を下げた。
緑色のダスターの隙間に挟まれた白い紙切れを見やる。

それを左手で抜き取り、カサカサと音を立てながら中を確認した。


数字とアルファベットが並んでいる。それから電話会社の名称も。


(…これって……メアド?)


田所さんにメアドを教えて下さい…と誰かが言ったら、「僕のメアドは特定の人にしか教えられない」と言われたらしい…と、同期の子が話していた。


(なのに……何故私に?)



去って行った先を見つめた。既に彼の姿はなくて、部署のある階へ上がってしまった後だった。


「仕事引けたら連絡してきて」


昨日のお詫びがしたいとか何とか、そんなことを言っていた気がする。
お詫びなんてしなくていいし、どちらかと言ったら悪いのは私の方だ。

頭の中がぐるぐると高速回転する。
スマイル王子のウインクと頂いたメアドは、私を混乱させるには十分過ぎるくらいの効果があった。


「ど…どうしよう……」


ダスターなんか握っている場合じゃない。この胸の騒ぎを早くなんとか鎮めないと。
オタオタ…と姿勢を伸ばして歩き始めたけれど、足はまるで宙を浮く様な感じで、爪先は特に着いてるのかどうかも分からない。
それでも左手に握っている紙切れの感触は妙にハッキリとしていて、始業時間になっても昼休憩になっても、いつまでも手の中に残って薄れなかった。



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