優しい胸に抱かれて
 開いたままの口を一端閉じ、また開く。

「…からかうからです」

「ああ、そうか」

 そう笑い飛ばして、何でもなかったことにしようとする彼は、一変して真面目な顔をするから、その変化に私はいつだって戸惑ってしまう。

 
「荷物なんてさ、商品部に押しつければ誰か持って行ってくれただろうに、敢えて黙ってた。真剣な顔して部長に刃向かって、仕事に対してひたむきで真面目なところは変わってなくて。誰もいないだとか、サワイクラフトの件は単なるこじつけ。紗希の熱心な姿、放っておけなかったんだ」

 放っておいてくれていればよかったのに。

 そうしたら、私がどのくらい好きだったのか、わざわざ思い出さなくていいことを思い出さずにいれた。


 それから、互いに一言も喋らずに、前のテールランプを追いかける彼の車は、見覚えのある角のスタンドを曲がり粛然とした路地に進入する。

「道…」

 呟くような声は途中で終わる。「道、覚えてるの?」そう聞こうとして、止めた。覚えているから、ここを曲がったのだ。

 送ってもらう時、いつもここから住宅街へ入っていった。それが近道だから。とっくに忘れられていると思っていた。

「…体が覚えてる」

 言い掛けたことが何なのか察した彼は、求めていなかった返事に答える。

 簡単に悟られて、よせばいいのに少し反抗したくなる。

「引っ越してるかもしれないじゃないですか?」

 私のしょうもない反発に、不服そうに眉を歪ませた横顔は口元だけを緩ませる。

「…直帰って決まった段階で、引っ越してないのは確認済み」

「…そう、ですか」

 まただ。

 トクンと心が揺れた。

 用意周到なのは変わらずなようで、ちょっとした気遣いがあまりにスマートだから。

 もっと押しつけがましいくらいじゃないと、悪路でがたつく自動車みたいに、揺さ振られっぱなしで困る。
< 134 / 458 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop