オフィスのくすり
 しん、としたオフィス。

 しばらくして、誰かの笑い声が廊下に響いた。

 残業している別の部署の人間たちが、廊下を歩いているようだった。

 そちらを窺いながら、FAXのある台に縋り呟く。

「なんだか外は平和ねえ」

「此処も平和だろ。
 俺たちはただの傍観者なんだから」

「井上さんはーー」
と和泉が妙に改まった調子で、呼びかけた。

「なんで香苗さんに何も言わずに他の人と結婚されたんですか?」

「いや、言ってみた気がするんだが。
 何も覚えていないようだから」
と腕を組んだ手で、こちらを指差す。

「言ってみた気がするって……」
とその曖昧さを咎めるように言う和泉に、

「酔っていたからあんまり覚えてないなあ」
と更に曖昧な言葉を返す。

「こいつとは、あまり正気のときに出会わなかったからな」

「あんたが同期の呑み、いつもどっかで呑んでから合流してたからでしょ」

 お互い、顔を合わせたときには、もう素面ではなくなっていた。

「結局、縁がなかったんだろ?」
と井上は話を締めくくるように言った。

「それで、どうだろうなと思いながらも、押してみなかったってことは、お前ほどの執着もなかったってことだろうよ」

「だったら、今更、現れないでくださいよ」

 そう噛み付いた和泉に、
「いや、たまたま、今、ばったり出くわしただけだろ?」
と言う。
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