お帰り、僕のフェアリー
3日後。
集合日に赴いた静稀は、案の定とんでもない役に抜擢されてしまった。
トルストイの『戦争と平和』を昭和の日本に置き換えた少女漫画原作の大河ロマンのヒロインだそうだ。
頭角を現す娘役の上級生と、まだ研3の男役・榊高遠くんが役替わりで演じるらしい。

「ど、ど、ど、ど、ど~~~~しよ~~~~!!!」
音域の狭い静稀は、まず娘役の歌のキーが出ないらしい。

とりあえず、僕らは原作を読んでみた。
なんてゆ~か……ハーレクインロマンスと言おうか。
原作のトルストイにはない華やかさとスピード感が少女漫画だな。

ちなみに静稀は、トルストイの小説も映画も見ていないらしい。
早速我が家の書庫から分厚い本を積み上げる。
映画も見ればいいと思うが、あの映画は原作を読んでからのほうがよかろう。
人物を理解していたら、メル・ファラーの悲哀と美しさを感じられるだろう。
……って、今回の静稀はヘプバーンに当たるのか。

ともかく、静稀は声楽の先生について、高音を出す練習を始めた。
僕はと言えば、静稀のお茶会までにドレスを準備しなければいけないらしい。

色は白!
もちろんシルク100%!

……早速デザイン画を伯父に送信したところ、ウェディングドレスと勘違いされてしまった。
違う~~~。
伯父の助言で、ウィーンのデビュタントのドレスを参考にすることにしてみた。

それから、鬘と靴とアクセサリー類だ。
娘役はドレス以外の全てを自分で準備しなければいけない。
鬘は門外漢だが、アクセサリーはやはり伯父に相談して急遽準備した。

……ついでに、Van Cleef & Arpels(ヴァンクリ)にピンクダイヤでロココ風の指輪を作ってもらう相談も。

こうして、静稀も僕も、時間との闘いが始まった。

静稀はお稽古場で毎日落ち込んで大変だったらしい。
やっと男役に慣れはじめた頃に、いきなりの娘役、それもヒロイン。
静稀の頭はパニック状態になってしまったようだ。
立ち方や歩き方から注意されるらしい。
かわいそうに、静稀は毎日悩み苦しんでお稽古を重ねた。

3月10日、大阪の小劇場で静稀のヒロイン公演が開幕した。
もっとも静稀がヒロインを務めるのは、中間の一週間ほどなので、最初は脇の男役だ。
特記するところもない役だが、白い軍服を着られたということで静稀的にはご満悦だったようだ。
娘役さんのヒロインっぷりは、さすがに可愛らしかった。
これがトルストイのナターシャなら、娘役さんで充分だったのだろう。
しかし、今回は、可愛さだけではなく強さともろさが必要な役だ。
演出家が静稀を選んだのは、さすがだと思う。

一週間後、榊高遠くんは初めてヒロインとして舞台に立った。
予想以上の完璧な美人さんに、会場からどよめきとため息が漏れた。

驚いたのは、ダンス!
いつもの静稀よりはるかに美しく生き生きと踊れているじゃないか!
……男役の時に履いている急角度のヒールがいかに静稀のダンスの足を引っ張っているかがよくわかった。

この公演は、静稀の様々な魅力と可能性を見せつけるには充分効果的だった。
静稀にとって、それがよかったのか……出来すぎてしまったのか……。

ここから、静稀の役替わり地獄が始まってしまった。
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