草食御曹司の恋

一年を通じて高温多湿なこの国では、ビジネスマンといえども、ジャケットを羽織ることは滅多にない。
それだけに、生真面目な友人のかっちりとスーツを着こなした姿は、俺の目に新鮮に映った。

じりじりと太陽が照りつける昼下がり、チャンギ国際空港の空港ラウンジで友人と待ち合わせをした。
今から俺は束の間の夏休みを楽しむためにモルディブへと旅立つところ。
それに対して、友人は今回こちらのメーカーとの技術提携の話をまとめるために、この国へと降り立ったところだ。
ラウンジ内をキョロキョロ見渡した友人に、軽く手を挙げて合図する。それに気付いた彼が、こちらへとまっすぐに歩いてきた。

「錬、久しぶりだな」
「ああ、お前がこっちに赴任して以来だから二年ぶりか」
「こんなに長く会わなかったのは、初めてだな」
「頻繁に連絡を寄越しておいて、よく言うよ」

二年ぶりだというのに、会話を始めると二人の間には、すぐにいつも通りの気安い空気が流れる。
高校の頃からすでに20年近い付き合いだ。
わざわざ長々と説明しなくとも、互いの腹の中はよく分かっているつもりだ。そもそも、数週間に一度メールでやり取りしていたのだから、近況は改めて語るまでもない。

「これが部屋の鍵。管理人には話を通してある」
「ああ、悪いな。しばらく借りるぞ」
「ちなみに、冷蔵庫の中身は空だぞ。ミネラルウォーターの残りも数本しかない」
「サービスが悪いな」
「言っておくが、こっちでは自炊しないのがスタンダードだ。この国の人間は、飯を作る暇があれば働いてる」

軽く驚いたような表情を浮かべて、肩をすくめた友人に、自室の鍵を渡す。
大学職員専用の宿舎で、俺のように海外から赴任してくる単身者でほとんどの部屋が埋まっている。大きな宿舎のために、共有スペースで顔を合わせてもどこの誰だか分からないことが多い。

仕事と休暇を兼ねて、十日ほどこちらに滞在するという友人に、部屋を空ける間、部屋に泊まらないかと提案した。
長く不在にするのは防犯上良くないし、宿舎の立地は彼の交渉先とも交通至便だった。
……などという互いの利害以外にも実は彼に伝えていない重要な目的があるのだが、それについては今は触れないでおこう。
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