草食御曹司の恋
「お前が海外の大学に赴任すると聞いたときは驚いたが、その顔を見て安心した。今、きっと充実してるんだな」
「ああ、お陰様で。がむしゃらに何でも吸収しようとする学生に囲まれてると、自然と自分も成長しなきゃいけない気分になる」
シンガポールは、住民に占める移民の割合が多いことで知られる。
少子高齢化の対策として始めた移民政策だが、大学にも近隣のいわゆる発展途上国から多くの留学生達が集まってくる。将来この国を支えるのに必要な優秀な人材を集めるため、政府が奨学制度を充実させているのだ。
「もう戻ってこないのか?」
友人の問い掛けに、俺はくすりと笑って答えた。
「いや、あと数年のうちには日本に帰るつもりだ。いい加減、白飯と味噌汁の朝飯が食いたい」
俺の発言に今度は錬の方が笑って、当然のように反論する。
「日本に帰ったって、自炊しないから同じだろ」
「どうかな、案外帰る頃には一人身じゃないかもしれないぞ」
「とても三浦博之の発言とは思えないな。ついに、ホームシックで気でも狂ったのか?」
「お前ほど意思が強くもなければ、頑固でもないだけだ。人が主義主張を変えるのに数年あれば十分だ」
この驚くほどに一途で我慢強い友人は、もう何年も前から、かつて自分の秘書だった女性に片思いをしている。
それも、もうずっと会ってもいなければ、今はどこで何をしているのかさえ分からない女に、だ。
それに比べれば、俺が長年貫いてきた主義主張など薄っぺらい紙切れのようだった。
「彼女に、会えるといいな」
次に俺の口から出たひと言は、唯一無二の友人に向けた、心からのエールだった。
それを、熊澤錬はフッと小さな笑いを漏らして受け取った。
「まだ彼女がこの街に居るとは限らない。でも、この先必ずどこかで会えることを信じるよ」
そう言って窓の外を見つめる錬の顔には、もう三年前の情けない失恋男の面影はなかった。
三年前、ほんの少しの勘違いをきっかけに、易々と手放してしまった恋。
自分に対する自信が足りなかったばかりに、あの時告げられなかった想い。
全てを抱えたまま、彼はこの三年で見違えるほどに成長した。