草食御曹司の恋
「博之さん、あのね…」
落としかけた視線を持ち上げて、梓が真っ直ぐに俺の方を見つめる。
いつだってこの意志の強い瞳で見つめられたら、俺はどんな無理難題でも頷いてしまいそうだ。
「やっぱり子どもがほしい」と言われるのだろうと思っていた俺は、すでに頷く準備をしていた。後悔の残らないように、出来ることは何でも試してみればいい。もちろん、俺だって子どもは欲しい。梓に似た女の子だったら、絶対に溺愛する自信がある。
だから、彼女の口から出た予想外のひと言に、一瞬驚きのあまり頭が真っ白になった。
「お母さんが、梓の赤ちゃんはきっと男の子よって」
ようやく言葉自体は受け止められたものの、その意味をすぐには理解することが出来なかった。
梓の赤ちゃん…子どもが出来ないことを気に病む娘に、そんな悪趣味な冗談を言うような義母ではない。
そこまで考えて、導き出した可能性は一つしかなかった。
「まだ病院に行って診てもらってもないから、誰にも報告してなかったのに、昨日会ったときにお母さんピンときたみたいで…」
超能力ではなく、娘の様子がいつもと違うのを敏感に感じ取ったのだろう。
「一昨日、もしかしてと思って自分で検査してみたら、陽性で…」
嬉しそうに、それでいて少しすまなそうに報告する妻を、勢いよく起き上がって抱きしめる。俺への報告が遅れたのは、彼女が悪い訳じゃない。実験に没頭するあまり、昨日も一昨日も明け方近くに帰宅したことを、思いっきり後悔した。
「病院、いこう、すぐに」
「ちょっと、博之くん、待って。落ち着いて」
すぐにでも病室を飛び出して、産婦人科に駆け込んでいきそうな俺をつかまえて、すぐにベッドへと引き戻す。
「今日は安静にしててね、パパ」
そんなふうにニッコリと微笑んで釘を刺されたら、反論できない。
大きく深呼吸して、自分自身を何とか落ち着かせる。
こちらを真っ直ぐに見つめる妻の大きな瞳が、まるで似ていないはずの親友のそれと重なる。
ふと思い浮かんだのは、かつて草食御曹司と呼ばれた面影なんて微塵も感じさせない男の言葉だった。
『運命じゃなくて、今自分の目の前にあるものを信じる』
きっと、梓に似ていても似ていなくても、娘でも息子でも溺愛する自信がある。
もう一度彼女をそっと抱きしめて、心の中だけで呟いた。
【完】
お読みいただきありがとうございます。
長期間にわたって本棚に入れていただいていた方、本当にお待たせしてしまって申し訳ありませんでした。
心より、感謝とお詫びを。
また次作もお付き合いいただければ幸せです。
いつものように、あとがきは数日後にファンメールでお届けします。


