君の隣
「無事に摘出できました。

 癒着も少なく、出血も最小限。

 ご安心ください」

 そう告げた朱音先生の声に、拓実は小さく頷いた。

──ありがとう。

 ありがとう。

言葉にならない想いが胸を満たした。

 それでも彼は、家族の顔でなく、医師としての礼儀を忘れず、深く頭を下げた。


 その夜。
病室には静かな夜が流れていた。

静かな呼吸。
 ゆっくりと動く点滴のポンプ。

 眠っている理名の髪をそっと撫でながら、拓実はベッド脇の椅子に腰を下ろした。

「……おつかれさま、理名」

理名はまだ目を閉じたまま、うっすらと微笑んだ。

「ちゃんと……全部取れた?」

「うん。

 朱音先生が完璧だったよ。

 出血も少なかった」

「……よかった」

かすかな声。

その言葉の奥に、理名のすべての緊張がほどけていくような響きがあった。

「私……やっぱり怖かった、ずっと」

拓実は理名の指をそっと握った。

 柔らかく、けれどはっきりと。

彼女の存在がそこにあることを確かめるように。

「自分の身体のことなのに、何もできない感じ。

 どこまで頑張れば“普通”になれるのかもわからなくて……」

「……理名は、もう十分頑張ってるよ」

拓実は静かに、けれど力強く言った。

「手術したからって、未来が決まるわけじゃない。

 でも、どんな未来でも……

 俺は、一緒にいたい。

 君と一緒に歩きたい」

理名の目から、涙がすっとこぼれた。

「ねえ、拓実。

 私、もしも、いつか子どもを授かれる日が来たら……

 お母さんに……伝えたい言葉があったの。

 高校に上がる春に、間に合わなかった言葉。

 それを、今度はあの子に……私の子に、伝えたいって思ってた」

拓実は何も言わず、ただ頷いた。

理名は、静かに目を閉じて──

ひとつ息を吐いた。

「“あなたが私の娘で、本当に良かった”って──
……そう、言ってあげたいの」

拓実の胸の奥が、じんと熱くなる。

手術が終わった夜。

 ふたりの身体は、まだ疲れに包まれていた。

でも、心のどこかで、“未来の光”を、小さく、小さく灯したような──

 そんな夜だった。

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