君の隣

動く時間

茶色の髪は、ひとつにまとめられている。

 くるぶしまである、鎖骨の空いた白いティアードワンピースが風でふわりと揺れた。

 今はフランスの動物病院で研修をしている彼女。

 獣医師としての学会が東京であったという。

懐かしくなって足がここに向いたようだ。

「ねえ、お母さん。

 最近……高沢先生のこと、ひとりの男の人として見てるでしょ」

 冷たい紅茶缶を両手で抱えながら、奈留が言った。

 朱音は一瞬だけ、視線を逸らす。

「……そんなつもりはないわ」

「嘘。

 ああいうの、わたし、すぐ分かるから」

 奈留はふっと微笑んだ。

 その表情に、星哉の面影が重なる。

 朱音は、胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
 
「……星哉がね、亡くなる前に、書類を残してくれてたの」

「うん。

 聞いてるよ。

 婚姻届のことも、離婚届のことも。

 私が、どちらの書類を書くときも、見届けたもん」

朱音はふと空を見上げた。

 涙は、もう枯れるほど流してきた。

 けれど、それでもまだ、前に進むことに怖さがあった。

「彼を愛してた。

 今も大切に思ってる。

 ……それでも、新しい誰かを選ぶのは、裏切りに思えるの」

「ううん。

 違うよ、お母さん」

 
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