君の隣
退院から数日後。

 穏やかな午後の光がリビングに差し込み、窓辺のレースカーテンが微かに揺れていた。

麻未は、ソファに座ったまま、赤ちゃんを胸に抱いていた。

授乳を終えたばかり。

 満たされた赤ちゃんは、小さくあくびをして、そのまま彼女の胸の上で眠っていた。

その、ふにゃりと柔らかい重み。

 あたたかさと、かすかなミルクの匂い。

(……この腕の中にいるのが、本当に私の娘なんだ)

日々の慌ただしさの中で、おむつを替えて、ミルクをあげて、眠れぬ夜を過ごして──

 でも、ふとした瞬間に、実感が押し寄せる。

「ねえ……あなた、ほんとうに、私から生まれてきたのね……」

小さな耳、小さな鼻、小さな爪。

 全部が、信じられないほど完璧で、いとおしい。

涙が滲む。

 でも、泣きたいわけじゃなかった。

 ただ、嬉しくて、ただ、胸がいっぱいで──

「……ありがとう。生まれてきてくれて、ほんとうにありがとうね……」

自分の声が震えていることに気づく。

 そっと赤ちゃんの額に、くちづけを落とした。

そのときだった。

 眠っていた赤ちゃんが、ふわりと微笑んだような気がした。

(ああ……この子は、ちゃんと私のこと、わかってる)

心の奥に、ぽっと灯るような確信。

 「母親になったんだ」と──その静かな実感が、身体の奥に、そっと染みわたっていった。


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