好きも嫌いも冷静に

俺の乗ったタクシーは道を間違えた。運転手がまだ不馴れなせいだったようだ。先のタクシーの運転手は年齢の高いベテランぽかった。うっちならこんなことにはならなかったかもしれなかった。俺は譲った事に少し後悔した。
…ま、いいか…。こんな日もある。そう思うしかなかった。散々な日だと。

アパートに帰り着いた頃には、辺りはすっかり静まり返っていた。
タクシーを降り、バタンと閉まるドアの音がやたらでかく響いた気がした。
ふと共有の玄関先から目を向けた。大家さんの部屋だ。明かりが点いていた。
いつもは知らないが、割と遅くまで起きているんだな…。

中に入り階段を上がろうとしたところ、お帰りなさい、と後ろから声を掛けられた。正直少しビックリした。声の主は大家さんだったが静かに開け閉めしたのか、一切、物音がしなかった。出てきて声を掛けられるとは思ってもいなかった。

「あ、すみません。煩かったですよね。タクシー」

「いえいえ、何も。私はただ起きていただけですから」

両手を体の前で激しく振っていた。

「あ、はあ。それでは、俺はこれで。おやすみなさい」

…まさか、住人が帰ってくるのを一人一人確認している訳ではないだろうが…。

「おやすみなさい。あ、美作さん、こんなに遅くですけど、ご飯は食べられました?」

あー、そういえば食いっぱぐれてるな…。
すっかり忘れてた。…。でもまあ、もう、いいくらいだ。部屋に早く入りたい。

「あ、いいえ。忙しくて、なんだかつい、忘れてました」

それでもこれは人のいいふりかな…。苛つく訳にもいかない。

「まあ…、そうなんですね。じゃあ、…ちょっと待っててください。直ぐですから」

「あ。はあ…」

部屋に急ぎ入っていった。こうなったら待ってるしかなくなった。か。

暫くして手になにやら持って出てきた。

「ごめんなさい、お待たせしました。はい、有り合わせですけど。お腹がすいて寝られないよりはいいかと思いまして。空いた容器は、いつでも、ここに掛けておいてくれたらいいですから。どうぞ」

ドアノブを指しながら渡された。

「いや…、なんだかすみません、有難うございます。では遠慮なく頂きます」

ずっしりと重みを感じた。これは受け取らないといけなくなった。

「はい」

「では、おやすみなさい」

「おやすみなさい」
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