おいてけぼりティーンネイジャー
しばらくの沈黙のあと、アリサが重い口を開いた。
「快楽と苦しみは同じ……限度がないのよね……。」

突然、抽象的なことを言いだしたな。
俺は、ちょっと楽しくなってきた。
「快楽と苦しみは、全く逆方向の感情なのに同時に付随してくるよね。」
今の俺みたいだな。

「……走ると、苦しいのに楽しいのと、一緒?」
アリサにそう問われて苦笑する。

「ちょっと違う。でも、それでいいよ。」
哲学論を楽しめるかと期待したけど、ドーパミンの話でしかなくなっちゃった。

ま、いいか。
アリサが、感情的にならずに話してくれるなら。

「暎(はゆる)くんは、速いの?」
そう聞かれて、どう答えようか、ためらった。

そりゃ、普通よりは速い。
全国大会に出られるレベルだから、速いと言っていいのかもしれない。
でも……俺より速い人間はいくらでもいる。
「もっと速くなりたい、と思ってる。」

そんな風に言うと、アリサは小さく笑った。
「相当速そうね。」

俺はちょっと照れた。
「……ご想像にお任せします。」

県で1番になれたら、「速い」って言ってもいいと思うんだけどな。
「来週末、通信大会があるんだ。夏休みに入ってすぐ県総体、8月に地区総体、お盆過ぎてから全中……全国中学校陸上競技選手権大会。退院したら見においでよ。」

俺がそう言うと、アリサは微笑みすら浮かべてからかった。
「誘ってるの?また、女の子の後輩が怒るんじゃない?」

どうでもいいよ!
肩をすくめて俺は言った。
「関係ないよ。アイドルじゃあるまいし。彼女もいないし。」

それどころか、自分から女の子に惹かれて、行動を起こすのは、アリサがはじめてだ。
……初恋?
俺は今更、照れてしまった。

微妙な空気の中、面会時間終了のアナウンスが流れた。
「ごめん!こんなに遅くまで。疲れてない?……病室まで送るよ。」
そう言って立ち上がると、アリサに手を差し出した。

アリサは俺の手をジッと見てから、おずおずと手を重ねた。
「ここでいい。」
そう言ったアリサの頬が少し赤い。

「いや、病室まで送るよ。心配だから。」
でもアリサは首を横に振って、きっぱりと言った。

「恥ずかしいから、ここで。……ありがとう。暎くんと話せて、楽しかった。」
拍子抜けするぐらいさばさばとアリサは言って、エスカレーターのほうへ歩き出した。

「……また来るよ。」
そう言ったけれど、アリサは振り向かなかった。

もう逢うつもり、ないのか?
慌ててアリサを追いかけて、腕をつかんだ。

驚いた顔で振り返ったアリサにたたみかけるように言った。
「また、逢えるよね!?」

アリサは、しっかりとうなずいてくれた。
「来週末は無理だと思うけど、夏休みには行けると思う。」

エスカレーターのドアが閉まるのを待って、俺はガッツポーズをした。
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