早春譜
 「昔親父と菓子屋横丁に来てな、博物館と称した店の奥で食べた経験がある。だから又其処でと思ったけど営業を辞めているようだな」

次の日曜日は約束通りに川越吟行になった。
でも食事しようとした淳一の思い出の場所が無くなっていたのだ。


仕方なく焼き芋を買い、ベンチに荷物を置いて食べることにした。


「美味しい」


「良く、栗より旨い十三里。と言うけど、江戸から此処は十三里で、川越のことだと言われていたからだよ。九里と四里を足してごらん。十三里になるから」


「だから川越を小江戸って言うのね」


「それも一理ありだな」


「先生、時の鐘もこの近くだって聞いたんだけど」


「行きたいのか?」


「行きたーい」

生徒の意見多数で、早速移動することになった。




 カメレオンオブジェの脇を曲がり、電柱のないメインストリートを右に折れると時の鐘の案内があった。
其処を左に曲がり暫く行くと、目的地に着いた。


「この先に川越薬師がある。行ってみないか?」

淳一は指を差しながら、その下を潜った。


「薬師堂、横にひっそり、半夏生。半夏生とは、天空上の黄経百度を太陽が通過する日なんだ。夏至から数えて十一日・七月二日にあたる。だから、今の季語じゃないんだ。これはその頃になると色付き始めるドクダミ科の薬草だ。白い葉の裏は緑で、半化粧とも言う。でも元々の半夏は烏柄杓と言う種類で、マムシ草に似た植物の別名だそうだ」

淳一は薬師堂の脇にある葉っぱを差して言った。


「マムシ草って何?」


「あっ、マムシ草って言うのはな、コブラみたいな姿で春に出てくる草だよ」
淳一はスマホに納められている画像からマムシ草を写し出した。


「これは秩父の真福寺って札所の近くで撮影したんだ。山の中にあるお寺だから辿り着くまでが大変だけど、行ってみる価値はあると思うよ」
淳一は少し得意になっていた。


「先生この絵馬可愛い」
でも一部の生徒は奥にいた。


「あっ、それはその二つの目で両目を現しているんだ。秩父にアメ薬師のお寺がある。其処にもあるんだよ」


「へー、工藤先生って物知りですね」


「でも又秩父ですね」


「もっと色々教えてください」

そんな言葉に浮かれて、淳一は饒舌になった。

淳一の講釈は解散するまで続いた。
生徒達は黙って聞いていた。
でもそれはウンザリと言うより、憧れの眼差しだったのだ。



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