落日の楽園(エデン)
 春日の母の、悲痛な叫びが二人の心を引き裂いた。

 お母さん……。

 一度もそう呼びかけたことはない。
 名乗りあったこともない。

 こんな形で、自分たちが親子であることを認め合うつもりはなかったのに。

 泣き崩れる母を、舞は茫然と見ていた。

 ―お母さん、お母さん。
 舞は心の中で、幾度となく彼女を呼んだ。

 坂口の母は舞を、連れて歩くのにちょうどいい娘だとしか思っていなかった。

 彼女なりの愛情もあるようだが、それは気紛れの優しさでしかない。

 だから、舞にとって『母』と言える人は、この春日の母だけだったのに。

 だけど― 二度と彼女は、自分を見てはくれはないだろう。

 二度とあの少し叱るような優しい声で、自分を呼んではくれないだろう。

 母は自分と目を合わせようとはしなかった。

 彼女にとって、最早自分は離れて暮らす娘ではなく、愛する息子の介弥に傷を付ける、ただの女に過ぎないのではないか。

 そんな気がしていた。

 立ち尽くしている間、介弥が優しく肩を抱いてくれていたが、その顔を見ることさえができないほど、噴き出した罪の意識に搦めとられていた。

 母は他の誰にもその事実を話さなかった。

 ただ、受験を理由に、二人は引き離され、高校に入ってからも、正月くらいにしか春日の家を訪れることはなくなった。
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