エリートな彼と極上オフィス
実際、私がその無邪気さを発動する機会は訪れなかった。
CMOが予定を切り上げて、思いもよらないタイミングで帰社したからだ。
突然現れた室長に、IMC室がどよっと揺れる。
「お疲れさまです、何かあったんですか」
「いや、視察の予定がひとつキャンセルになったので、滞在を短くしてきた」
「そうですか…」
IMC室でCMOに次ぐ立場にいる、嶋(しま)さんというマネージャー級の男性が何か言おうとしたのを、CMOは見逃さなかった。
部屋の奥に固定のデスクを持っている彼は、出張の荷物を手早く片づけながら、問いかけるように眉を上げる。
次いで室内の全員の視線を集めていることに気づいたらしく、ちょっと目を見開くと、手を止めて、みんなに向き直った。
「人事の件か」
「何かしらの意図を感じずにはいられません」
「意図があろうがなかろうが、我々はすべきことをする。それは変わらないと思うが、何が気になるんだ?」
12名が沈黙する。
そう言われてしまうとそうなんだけど。
岩瀬CMOは一人一人を見回すと、子供をたしなめる父親のような雰囲気で、温かい渋面を作った。
「俺は、例え俺が解雇されても、この活動が止まることのないようなチームにしたかったし、そうできたと思っている」
「室長ご自身の人事のお話が、あるんですか」
「ない、少なくとも俺は知らない」
みんなが一様に、ほんのわずか安心したのが伝わってくる。
「だが今後もないとは言いきれない。その時にもそんなふうに、不安を見せるつもりか? 我々に不可欠なのは、牽引力だぞ」
「我々はこの会社の従業員です。組織が変わってしまったら、志がどうあろうが存続を許されなくなることもあり得る」
「だから今、全ての部門に対し、統合マーケティングの必要を説いているんだ」
「道半ばで理解者が軒並み外された。先行きに懸念が生まれるのは当然です」
冷静な嶋さんの言葉は、全員の思いだった。
彼をじっと見つめてから、岩瀬CMOはふうと息をつく。
「ではその懸念を払拭するために、すべきことをしよう、何ができる?」
「退く役員と引き継ぐ役員の二人を相手に、同時に意思確認をしたいですね、今後も部門的に理解を促進してもらえる言質がほしい」
「タイムスケジュールの案を作ってくれ、俺から展開する」
「あとは室長、社長と話していただけませんか、今の考えが、どんなものなのか」