ビタージャムメモリ
優しく笑われて、私は図らずも歩くんとの仲よしアピールをしてしまったことに気がついた。

先生の中では、いったいどの程度誤解が進んでいるんだろう。

彼らの間で何を言われていても、私には知るよしもないことに気がついて、改めて恐ろしくなる。



「…あの」

「香野さんは、僕のどの講義を取ってたの」

「え?」



隣を見上げると、にこっと微笑まれる。



「僕は、あの大学では3コマ受け持ってたんだ、どれだった?」

「…人間工学の基礎理論です、全学部向けの」

「ああ」



懐かしいな、と白い息を吐きながら笑う。

え、そんな反応?



「あの…前に、そのお話は、ええと、されたくないと思ってらっしゃるような印象を受けたんですが」

「え、あれっ、この間、事情を説明しなかった?」

「はい…」



珍しく焦ったような声を上げた先生は、私の返事にますます驚いたらしく、そうか、と独り言みたいにつぶやいた。

前方を見つめて、どこから話そうか迷っているみたいに、うーんと唸る。



「あの、別に、無理にお聞きしたいわけじゃ」

「いや、この会社、副業禁止でしょ、ばれたら懲戒免職だから、誰にも知られないようにしてたんだ、前に焦ったのはそのせい」

「…焦ってらしたんですか、あれ」

「そうだよ、まさか社内に、教えた学生がいると思わないし」



そりゃそうだ。

副業禁止という社則も初めて知った私は、確かにそれなら、うかつに口に出されたらさぞ困るだろうと今さら気がついた。

それであんなにピリッとしたのか。



「それなのに、どうして講師を?」

「…当時、僕のグループは会社から干されていて、研究開発費をまったくもらえなくてね、そうするとすることがない。成果も出せないから給与も低い、で、困って」



彼なりに気まずく思う話らしく、私のほうを一度も見ずに、早口でそこまで喋る。

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