ビタージャムメモリ
「それで、学長につてがあったものだから、無理を言ってあの大学に講師の口を作ってもらった」
「授業、平日でしたよね?」
「会社を抜け出してたんだよ」
「え」
「深刻なほどやることがなかったから、そんなことが可能だったんだ。でもやっぱり後ろめたくて、会社の人間には、本当にひとりも話してない」
私は唖然とした。
先生が、そんな大胆なことを。
本気で後ろめたいんだろう、咳払いするように拳を口元に当てて、恥ずかしそうに視線を反らして、こんな先生は初めて見る。
「あの、そんなに苦しかったんですか…?」
「いや、僕ひとりならよかったんだけど」
先生はますます居心地悪そうに、若干足早になった靴の先に目を落とした。
「あの頃は、歩が本格的に音楽の道に進もうとしていた時でね。レッスンや遠征の費用が必要で。高校の学費も貯めておいてやりたかったし」
言ってから、ちらっと私を見る。
決まりが悪くて、いたたまれないっていう横顔。
「これは歩も知らないことだから、できたら言わないでほしい…」
先生、私ね、今日、ひとつの賭けをしてたんです。
もしも先生とふたりきりになることができたら、実行しようって。
駅に着いた時、改札階に下るエスカレーターに乗ろうとした先生を引き留めて、フロアの隅のほうに引っ張っていった。
バッグに入れていたものを取り出す。
濃紺の、上質な紙袋に入った軽い包み。
「これ…もらっていただけますか」
「え?」
先生はぽかんとしつつも受け取り、不思議そうにそれを裏表させた。
「…何?」
「どうぞ、開けてください」