ビタージャムメモリ
「…本当ですか?」
「うん」
おそるおそる聞くと、ちょうど煙草をくわえたところだった先生は、ライター片手にうなずいた。
えええ…!
申し訳ありません! とお座敷に土下座する勢いで頭を下げる私を、周囲が笑う。
「いいじゃない、もうそれがあだ名ってことで」
「ねえ、別に悪くない呼び方だし」
「そんなわけには、あのっ、眞下さん、今度やったらどうか指摘してください」
半泣きで懇願すると、先生は楽しそうに、からかい顔で微笑んで、頬杖のまま私に、小さく首を振ってみせた。
「もう慣れた」
…こんなに柔らかいのは、私を歩くんの相手と思っているからだ。
私が歩くんに対して抱くように、きっとどこか身内みたいな感覚があって、それでこんなふうに接してくれているだけだ。
わかってるのに。
心がかき回される。
「あれ、眞下さん、もうお帰りですか」
「ああ、これよろしく」
柏さんにさりげなく一万円札を渡すと、先生はバーのソファから立ち上がり、店員さんからコートを受け取る。
私もちょうど帰ろうと腰を上げかけていたところで、このタイミングだとまた何か言われるかなと思ってやめかけたのだけど。
店員さんはむしろ、私と先生が一緒に帰るものと判断したらしく、続いて私のコートまで持ってきてくれてしまった。
すっかりこのバーが気に入ったらしい柏さんたちは、バイバーイとほろ酔いで私たちを送り出してくれた。
「…明日、お早いとかですか?」
「いや、実は歩が最近、遅くなるとうるさくて」
「歩くんが?」
駅までの夜道を歩きながら、そんな会話をする。
先生は私に合わせてか、ゆっくりしたペースで、シンプルなグレーのハーフコートに片手を入れて歩いていた。
「あの一件以来、門限を設けたんだけど。守る代わりに、こっちに対してもうるさくなったんだ。要は寂しいんじゃないかな」
「あはは、可愛い、あのバー、歩くんが教えてくれたんですよ」
「へえ」