そのキスで教えてほしい
一部始終を見てしまって、崎坂さんになにか言われても誤魔化す自信がない。
女の人の姿はもう見えないのに、私はまだそこから視線を動かせないでいた。

こちらに近づいてくる崎坂さんの気配。どうしよう気まずい、と頭の中でくり返す。

とりあえず、呼ばれてしまったのだから振り返って崎坂さんと向き合った。
そしてなんとか場を取り繕ってみる。

「こ、こんばんは。あれ、随分前に退社しましたよね? どうしたんですか、なにかありました?」

「ああ、忘れ物」

「そ、そうなんですか」

「……あのさ、鈴沢」

「きょ、今日も寒いですね。空気がからから。明日は晴れますかね?」

「……そうだな、寒い。それから明日は曇りのち晴れみたいだ」

「へ、へえ……」

「鈴沢」

電池の切れかかった人形のように、カクッカクッという動きで顔を上げた。
すぐ目の前にいる崎坂さん。

「見てたよな?」

見ていました、バッチリ。

「とても興味深げに見てただろ」

それは気になってしまうでしょう。あんなに色っぽく女性の口を塞ぐかも、というところを見せられたら。

思わず目を奪われてしまうほど、あの瞬間の崎坂さんはいつもの崎坂さんじゃなかった。

すっと、彼の手が動くと、私の頬にかかる髪をさらりととかして耳の後ろへとかけた。
雰囲気と誘うような視線に、体の熱が上がる。

この雰囲気……変な感じがする。

私の目を見ていた崎坂さんは、一度瞬きを加えてからわたしの口許に視線を移した。

「なあ、」

「お疲れ様でした失礼しますっ……!」

慣れない空気に堪えられなくなった。
勢いよく声を出して野性的な走りで逃げていく私は、彼にどう映っただろうか。
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