アルチュール・ド・リッシモン

リチャード2世の死

 グロスター公トマスらを逮捕して2年後の1399年2月3日、リチャード2世の脅威であった叔父のジョン・オブ・ゴーントが亡くなった。
 これに伴い、リチャード2世はその息子であるヘンリー・ボリングブロクにランカスター公領の没収と追放を命じた。
 が、ヘンリーがそれに大人しく従うわけもなく、7月に挙兵したのだった。
 翌8月、アイルランド遠征から帰国したリチャード2世は、ウェールズとの国境で、ヘンリー率いる大軍と戦うこともなく、あっけなく降伏。ロンドン塔に幽閉される。
 リチャード2世32歳。同じくヘンリー4世も32歳であった。
 9月28日は、議会で正式にリチャード2世の廃位が決まり、数年前にフランスから嫁いできたシャルル6世の娘、イザベルもロンドン北部のソニングに幽閉され、夫と会うのも禁じられたのだった。
 その翌年、失意のどん底にあったリチャード2世は亡くなり、その次の年、イザベルはフランスに帰国する。彼女は、まだ11歳という若さであった。
 それだけ若かったので、16歳になった1406年、従弟のオルレアン公シャルルと再婚する。
 だが、可哀想なことに、その3年後、長女ジャンヌを出産した際に亡くなってしまうのだった。本当に不幸な星の下に生まれた女性だったらしい。

 イングランドがそういう状態であったので、ジャン5世が騎士に叙任され、正式にブルターニュ公に即位した頃にはもう、ヘンリー4世も即位していた。
 アルチュール達の母、ジャンヌ・ド・ナヴァールがその妃となるのは、その2年後のことであった。
 そして、イングランドとフランスが実際火花を交えるのは、その母ジャンヌがイングランド王妃となった翌年のことであった。
「リシャールはまだ8歳ね………。無事に生きていれば、の話だけれど………」
 ロンドン市内を見渡せる塔の窓で、すっかりイングランド風のいでたちになり、ドレスのやカーテンの窓の家紋もヘンリーと同じなったジャンヌがそう呟くと、逞しい腕が彼女を抱きしめた。
「何だ。このような所におったのか」
「何ですの、あなた?」
 微笑みながらそう尋ねる彼女の視線の先には、顎鬚が少し伸びてきた逞しい男がいた。
「会議が退屈でな。だが、ブルターニュ沖で海戦となりそうなのだ。しょうがない」
「ブルターニュ………」
 その地名に、ジャンヌの顔が曇った。
 
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