アルチュール・ド・リッシモン

イングランドの大敗

 オンフルールを手に入れたとはいうものの、見る間に数が減り、士気も日に日に下がってきているのを目の当たりにして、ヘンリー5世は近くにあった杭をこぶしで叩いた。
 下がぬかるみなので、その杭はズブズブと中に埋まってしまう。
 そういう地面の状態も疫病を蔓延させる一因で、黒太子エドワードやその父エドワード3世がカレー攻略に時間をかけたのもそれがあってのことだったのだが、ヘンリー5世はそれを調べていなかったのだった。
「殿下、記録によりますと、黒太子殿下もカレーをすぐ落とせずに時間をおかけになられたよしにございます。ここは、こういうぬかるみの地ゆえ、難しいのでございましょう」
 いかにも不機嫌そうな表情のヘンリー5世に近付き、そう言ったのは、黒髪の巻き毛に薄茶の瞳の品のよさそうな青年だった。
「リチャード……。では、私のせいではないのだな?」
 その黒太子エドワードの息子であるリチャード2世に引き取られ、王宮で過ごしていた時に知り合い、今までずっとそばにいる、年の近い黒髪の青年に、真っ赤な髪のヘンリー5世がそう尋ねると、彼は首を横に振った。
「いえ、ある意味では、殿下の責任でございます。フランスに攻め入られるとお決めになられた時点で、こういう事態に陥ることも見越して指示を出されるべきでございましたので……」
「言うな、リチャード!」
 真っ赤な髪に逞しい体つきのヘンリー5世は、そう言うと苦笑した。
 もっと若くて血気盛んだった頃は、同じことを言おうものなら、軽めとはいえ相手の頭を叩いたりもしたのだが、流石にイングランド王に即位してからはそういうことをしないよう、自分を律しているようだった。
 だが、それでも、幼馴染で信頼出来るリチャードが「特別」ということだけは変わっていなかった。
「ならば、どうする? どうすればよいと思うのだ? 黒太子エドワードにとってのジョン・チャンドスは、お前なのだ、リチャード・ド・ボーシャン。意見を聞かせてくれ!」
「身にあまるお言葉、ありがとうございます。では、謹んで申し上げます。ここはやはり、カレーまで戻るべきかと思います。それも、出来るだけ急いで」
 リチャード・ド・ボーシャン。
 イングランド貴族の中でも最も古い爵位の1つ、第9代ウォリック伯の33歳の青年は、真面目な表情でそう言った。
 真面目過ぎるその性格ゆえか、栗色の髪の頭頂部と生え際には白いものが少し混じり初めていた。
「やはりそうか……。それしかないよな……。では、駆けるぞ!」
 そう言うと、赤毛の青年王は近くにいた侍従と共に愛馬の元に急いだのだった。
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