アルチュール・ド・リッシモン

元帥就任式

 フィリップ善良公の結婚の約1か月後の1424年11月20日、アルチュール・ド・リッシモンはアンジュー城に入城した。
 翌年3月7日にはシノンでシャルル7世に忠誠を誓った。時に、シャルル7世22歳、アルチュール・ド・リッシモンは27歳であった。
「貴公の大元帥就任に際し、余は貴公にトゥーレーヌ公国領を送ろうと思う」
 借り物とはいえ、一応テンの毛皮に身を包んだ金髪巻き毛に無精髭のシャルル7世にアルチュールは苦笑した。
「陛下、その周囲はまだイングランドのものでございます。奴らを蹴散らしてから、謹んでお受け致します」
「うむ、そうだな」
 そう言うシャルル7世に、アルチュールは少し不安を覚えた。少し楽観的過ぎるのではないか、と。
 逆に言うと、そういう性格だったからこそ、アルチュールの兄ジャン5世をパンティエーブルが拉致し、その許可を密かにシャルル7世が与えたというのに、平気で弟のアルチュールを大元帥に任命出来たのかもしれないが。
 だが、アルチュールの心配はそれだけではなかった。
 実は、シャルル7世の着ているテンの毛皮のマントは、ブルゴーニュ公フィリップから借りたもので、その下の服は絹のブラウスが見えていたが、汚れていた。
 ───つまり、金銭的にも無頓着で、享楽的であったのである。母イザボー・ド・パヴィエールの性格をそのまま受け継いでいた、とも言えるが。
 問題は山積みだが、1つ1つなんとかしていくしかないな………。
 そう心の中でつぶやくと、アルチュールはシャルル7世の前で誓った。
「死に至るまで労を厭わず、奉公する」
と。
 そして、王室紋に金の十字が鍔(つば)に施された大元帥の剣をうやうやしく受け取ったのだった。

 ───だが、それからが大変だった。
 軍隊のための費用は、相変わらず寵臣達に横流しされ、宮廷の遊びに費やされていたので。
 しかも、その長たるシャルル7世は、それを悪いことだとは思ってもいなかった。
 そんな状況下、大元帥に就任したアルチュールの仕事は、街道荒らしと宮廷の寵臣達の対処だった。
 「大元帥」という大層な名前の割には小さな仕事であったが、他に出来る者がいなかったのでしょうがなかった。
 ただ、その「脛切(すねきり)」や「皮剥ぎ」等と呼ばれた街道荒らしの中には、一部の貴族と共謀していることもあり、これがたちが悪かった。結託している寵臣がシャルル7世に直接アルチュールの悪口を吹き込み、中には彼の暗殺を画策したものもいた。
< 65 / 67 >

この作品をシェア

pagetop