桜の木の下に【完】
*健冶side*
ついに、穂波家に着いてしまった。
流石の直弥も神妙な顔をしている。
大勢の暗部の気配に囲まれながら、幹さんはそんな重い空気にクスッと笑った。
もう、仕事をする目だ。
俺が固唾を飲んで見守っていると、幹さんはなんでもないようにインターホンを押した。
その驚きの行動に直弥と顔を見合わせた。
まさかの正面突破だと?と。
インターホンの向こう側で、ピッと音が鳴った。相手がスピーカーのスイッチを入れたんだ。
「穂波真人並びに、穂波加菜恵を重要参考人として連行する」
幹さんがそう告げると、インターホンの向こう側からは笑い声が上がった。
クスクスと、嘲笑うかのような声が。
しかし、予想に反してその声は女性のものだった。
『貴方は知ってるかしら。幻獣の声はスピーカーを通るのよ』
「……貴様、明月だな」
今まで聞いたことのない、幹さんの乱暴な言葉遣い。いや、本当はこういう人なのかもしれない。
『あらあら坊や。貴方に指導をしたのはこの私だって忘れたのかしら?』
「ああ、忘れたな。その姿をした貴様なんか知らねえよ」
『あらそう残念。私は覚えているわよ?許嫁を護るために厳しい修行に耐えていたあの頃の坊やを。懐かしいわね?まだ五つぐらいだったのに、私に泣きながらお願いしちゃって……』
「黙れ」
『師匠に向かってその言い種なの?悲しいわあ。そんな感じじゃ私には一生勝てないのに』
「黙れ!茶番は終いだ。今日ここで、貴様を抹消してやる」
『できるものならやってみなさいな』
プツン、とそこでインターホンは切れた。
その瞬間、地響きが伝わってきて立っていられなくなった。
そして、地面からゴゴゴ…と巨大な根が空に向かって四方八方から這い出てくると、一気にその距離を縮め頭上を覆い尽くした。
明るかった道路から一変し、真っ暗な闇が俺たちを囲いこむ。周辺の住民はすでに避難させていたが、穂波家の近くに建っていた家は見るも無惨に崩れていた。
あっと思った瞬間、気配を感じて飛び退いた。
何も見えないが、無数の何かが蠢(うごめ)いているのがわかる。
「健冶、無事か!」
「直弥!俺はこっちだ」
稲光をその蠢く何かにくらわせながら直弥が俺の隣にやってきた。その稲妻の残光から浮かび上がって見えたのは、縦横無尽に暴れまわるツタだった。
そう、あの毒のあるツタだ。
「これめっちゃヤバイじゃん!毒あるやつだろ!」
「だが数がある分、力は小物だ。一気に抜けて幹さんを追うぞ」
暗くなる直前、幹さんの方からガラスの割れる音がしたから単独で家の中に突入したんだろう。
早く追い付いて加勢しなければならない。
俺たちはしつこく追ってくるツタを叩きながら家に近づく。
その間、あちらこちらで悲鳴が上がった。
暗部の人たちは明月のツタが初めてだからてこずっているようだ。
「助けてやりたいけど…温存しておけって言われてるしな」
「信じるしかないし、俺たちも覚えがあるだけで戦力にはならない」
そう、過信してはいけない。
暗部も強い人が集まっているんだから、俺たちに助けられたって嬉しくないだろう。
暗部にもプライドはある。
白虎丸の力を借りて、割れたガラスを見つけ出して慎重に家の中に侵入した。
薄暗くてよく見えないが、明月も幹さんもここにはいないようだ。
「どこ行ったんだ…?」
「あの空間に行ったはずだ」
リビングを抜け階段を駆け上り、一つの部屋のドアを乱暴に開けた先には、床に紫色の光を放つ魔方陣があった。
「なんだ、これ…魔方陣って確か紙に書いてあるはずじゃ」
「絨毯か何かで隠していたのかもしれない。行くぞ!」
俺は魔方陣の上にしゃがみ、さっきガラスで切ってしまった指を魔方陣に擦り付けた。
血が同じく紫色に光ると、ふわっとした感覚に襲われた。
しかし、眩しくなる視界の中で直弥とどんどん離れてしまう。
「直弥!」
俺は落ちていくのに、直弥は浮いていく。無駄とわかってはいたが、無意識に腕を伸ばしたがやはり届くわけがなかった。
直弥の驚きで見開いた目の残像がずっと残る。
もう諦めて下を見ると、俺は焦りと恐怖で言葉を失った。
俺の落ちる先には…巨大なクモがいた。
大きなクモの巣の上に、真っ黒なクモがいくつもある赤い目で俺を捉えている。
コイツと戦えってか。
一瞬絶望しかけた心に、闘志を燃やす。
「行きますよ、大蛇!」
帰るんだ。
生きて帰るんだ、俺は………!
*
「ふふ、ひーっかかった、ひっかかった。迷える蝶は人知れず蜘蛛に食べられてしまうものよ坊やたち」
女性が一人、魔方陣を見下ろしながら艶やかに笑う。
その笑顔に人間らしさはまったくなかった。