専務と心中!
専務は何度となく私に手を伸ばしながら、しれっと言った。

「毎朝、見てる。駅から我が社への通路の途中に古い喫茶店があるだろ?」

ある!

汚い古いカウンターだけの小さな店なのに、おじさんでいつもいっぱい。
もっとも、店内は煙草の煙りで何となく靄がかかっているし、証明も落としてあるので、外からはほとんど見えないのだけど。

あそこに、専務がいたの?

「毎朝?あのお店にいるんですか?」
驚いてそう尋ねると、専務はうんうんとうなずいた。

「ああ。あの店は周辺の会社役員のサロンみたいなもんでね。情報交換もできるから、ほぼ毎朝行ってるな。朝のにほちゃんを見ることもできるし。」

……専務……それじゃ、なんか、ストーカーみたい。

知らんかった。
毎朝、見られてたのか。

……。

……え?

いつから?

椎木尾さんと……仲良かった頃も?……見られてたのかな。

何だか、ものすごく複雑な気分になった。

「ずいぶんと暇なんですね。」
気まずいというか、気恥ずかしいというか……ばつが悪くて、またそんな憎まれ口をたたいてしまった。

でも、専務は一向に気にする様子もない。

「俺、朝型なんだ。早寝して、朝3時頃起きて、会社に来て勉強してる。会社の業務と付き合いで忙しいから、早朝しか自分の時間がなくてな。」

そう言って、上がって来た役員専用エレベーターに乗り込んだ。

「ほら。にほちゃん。おいで。」

……平社員の私は、ためらいながら渋々乗った。

エレベーターのドアが閉まる。
待ってましたとばかりに、専務が私を捉えた。

子供のように、ぎゅーっとだきしめられて……突っ張っていた私の心がほぐれてくる。

どちらからともなく、深い息をついた。

「……やっと、つかまえた。」

専務が頭の上でそうつぶやいた。

「……つかまえられてしもた。」

私も、そうつぶやいた。

ら、私を抱きしめたその腕に、専務はぎゅっと力を込めた。
ほんとに、つかまえられちゃった……みたい。

安堵のあとの心地よいドキドキに、私は目を閉じた。



「焼き肉なのに、生肉ばかり注文するんだな。」

連れられた焼き肉屋さんは、雰囲気のいい和風建築の落ち着いた佇まい。

専務はメニューを見て、ユッケや肉刺しを注文する私に目を細めた。

「生肉が好きなんです。ほんとは、レバ刺しも食べたいけど……ダメですよね。焼くのは赤身がいいです。」

そう言って、肉の種類は専務に任せた。
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