御曹司と愛され蜜月ライフ
「すみません課長、コーヒーごちそうさまでした」



クロックスに足をすべりこませ、後ろを振り返ってそう言った。

玄関から1段上がったところ、私よりも少しだけ高い位置に立つ近衛課長がこくりとうなずく。



「いや、それはこっちのセリフだ。食器も洗わずに返して悪い」

「いえいえ、私が勝手に持って来ただけですし」



彼が食べ終えた状態のままの食器たちが乗ったおぼんを両手で持ち、私は苦笑する。

まさかまさか、直属ではないとはいえ上司に洗い物なんてさせるわけにはいかない。

課長は気にしていたけど、ほんとにこれは私の勝手だったから。


なんとなく次の言葉が見つからなくて、狭い玄関に沈黙が落ちた。

……えーと、どうしよう。私の方から、もう『それじゃあ失礼します』って、言っていいのかな。

課長、なぜか黙ってるけど。そしてうつむきがちに黙り込むその顔も、相変わらずイケメンですけど。



「えっと……それじゃあ私、失礼しますね」



小さく会釈する。そのままきびすを返しかけた私は、唐突に背後から伸びて来た手にびくりと肩を震わせた。



「待って、卯月」



その手の持ち主とは、間違えようもなく近衛課長のもので。
 
身長の高い彼なら余裕なのだろう。課長は上がりかまちに立ったままドアに片手をつけ、自分とドアの間にいる私を見下ろしていた。

月曜日の、まさにこの場所であった出来事が頭の中にフラッシュバックする。

思わぬ至近距離に、否が応でも心臓が高鳴った。



「こないだ──……手荒な真似をして、すまなかった」



真剣な表情。その“こないだ”が月曜日の朝のことを指しているというのは、同じ日を思い出していた私にはすぐわかった。

固まる私をじっと見据え、彼が続ける。



「……もう、あんなふうにはしないから」



課長の、グリーンシトラスの香りがする。首から下は微動だにしないまま、なんとかこくこくとうなずいた。

それを確認したからか、何事もなかったかのように身を起こした課長。 

彼が離れた瞬間音もなく深い吐息がもれ、自分が無意識に呼吸を止めてしまっていたことに気が付いた。
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