眩暈
 私は一人、シュプレー川のほとりを歩く。金色の柔らかな西日が当たっていた。もうすぐ四月が来る。ベルリンは日に日に陽が長くなっていく。春が来るよ、そう語りかけながら。振り返っても、返事をしてくれる人は、誰もいない。パウロとアナの子供が生まれたと人づてに聞いた。私はその希望の子供を見ていない。
 雪が、溶けていく。私はふと思うのだ。ルカの上に降る雪を彼はどんな気持ちで眺めていたのだろうと。それはきらきらと輝いていて、とても美しかったかもしれない。もしかしたらルカはその時、笑っていたかもしれないと。
 明日、私はロンドンへと旅立つ。アンディがロンドンで仕事を見つけたのだ。私はそこでも小説を書き続けるだろう。好奇心に満ちた目でページをめくってくれる人がこの世のどこかにいることを期待しながら。

私は英国で見る美しい風景に感動するだろう。そして一年後、私はアルゼンチンにいるかもしれない。パタゴニアの自然はどれほど美しいことだろう。そしてさらに一年後、アメリカ。ニューヨークの摩天楼に酔いしれる。デリー、カサブランカ、ナイロビ、それからパリ。世界中の望んだところ、どこにでも行ける。そのすべての場所で美しいものを見るだろう。汚いものも、悲しいものも。いろんな人に出会うだろう。そしてそれと等しく別れも経験するだろう。また地球上のどこかで会おうと約束して。同時に、もう二度と会えないと心のどこかで理解しながら。私たちは進んでいく。ここではない、どこかへ。私は、行かなくては。だけど、世界中のどこに行っても、私のスーツケースはベルリンに置いて行く。生きては二度とその地を踏むことのなかったマレーネ・ディートリッヒの言葉のように。
 私は、そのスーツケースの中に、たくさんのものを詰め込む。夏のきらめき。ルカと一緒に見たベルリンの空の青み。飛行機雲。嗅いだことのないセルビアの香り、それからブラックミュージックの悲しい調べ。頭の中のユーゴスラヴィアの地図。あの一瞬の出来事、美しい思い出、そのすべてを。私は想像する。クリスマスのプレゼントを開ける子供のようにきらきらとした瞳で、それを開けるあのセルビア人を。
「おやすみ、ルカ。」
私は言った。いつも眠りにつく前のように。
「おやすみ、ヨーコ。いい夢を」


                END
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