恋は天使の寝息のあとに
黙ったままの私に、彼は目を瞑り、ひとつ、ゆっくりと大きく息を吐いた。

次に瞳を開けた彼は、もういつも通りの彼で、まるで何かが吹っ切れたかのような、清清しい顔で言った。

「……よかったな。父親、帰ってきて。
これで、元通りの家族に戻れるじゃん」


恭弥が立ち上がり、ポケットに手を突っ込んで、こちらを見下ろした。
いつものちょっと投げやりな口調で言う。

「俺のことは、全部忘れろ。
お前と、心菜と、翔の三人で一から全部やり直せ。
そしたら――」

恭弥が私の頭に手を伸ばして、くしゃくしゃっと髪をかき混ぜた。

「やっと本当の家族ができるな」

まるで餞別とでもいうように、今までにないくらい優しい声で、表情で、恭弥は私を覗き込んだ。
今さら彼の愛情を感じてしまう。
決心が揺るぎそうになる。

これ以上顔を見ていることも辛くなって、私は恭弥に背を向けた。
へたり込んだまま、黙って涙を拭う。


「……幸せんなれよ」

後ろから囁くような声が聞こえて、恭弥の気配が遠ざかるのを感じた。
廊下を歩いていく音が聞こえる。
その先の玄関の扉がバタンと音を立てて閉じて、その音に私はぎゅっと目を閉じた。

彼が、行ってしまった。
もう二度と帰ってきてはくれないだろう。
そうするように仕向けたのが私自身なのだから、仕方がない。

せめて分かって欲しかった。
私が本当に愛しているのは……


考えれば考えるほどに涙が溢れて止まらなくて
もう二度と、幸せになんかなれない気がした。
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