光のワタシと影の私

歌手名を決めよう!

 ワタシよりは歳上だけれど、あまりIT関連のことには詳しく無いのかパソコンと聞いただけで苦笑いを浮かべてみせる鳴宮さんは親しみやすい人なのかもしれないと思った。こんな女性がもしも音楽活動を進めていくうえでマネージャーのような存在になってくれたらきっと音楽業界という高い壁に押しつぶされることなく活動を進めていくことができるに違いない。
 「…もう、私のことは良いの良いの!…そうね…じゃあ、貴女がこれからこの事務所に所属していきたいって思っているなら貴女の名前を決めていきましょう!」
 本名をそのまま使って音楽活動をしている歌手もいるけれど、やっぱり少しでも目をひくようなあだ名っぽいモノのほうが興味を持ってもらうことが出来るかもしれない。
 そう考えたワタシは、ライブハウスの中でも店長さんなどに掛けてもらっている一つの呼び名として案を出してみることにした。
 「あの、ワタシ本名が麗花(れいか)って言うんですけど…REIっていうのはどうでしょうか?長くもなくて呼びやすい名前だと思うんですけど…」
 ほんの一瞬だったけれど、ワタシの名前を聞いた鳴宮さんの顔が驚いたものに見えた気がした。すぐに元に戻ってしまったのでワタシの気のせいだったかもしれないけれど…それが少しだけ気になってしまった。
 「REI、REI…うん。良いんじゃないかしら?確かに呼びやすいわね」
 ポケットからメモ帳を取り出すと急いでメモしている割には綺麗な文字でREI、と書き記されていくのが分かった。
 「…じゃあ、REI。貴女の意見は分かりました。けれど、一応まだ未成年だから貴女のご両親にもこの話しをして同意してもらった上で貴女をこの事務所所属にさせてもらうことにするわね?」
 未成年。
 どこの業界においても未成年というだけでどうしても制限されてしまうものもあるし、両親の同意が無ければ出来ないこともある。こういうときばかりはすんなりと話しが進まないことに自分が未成年だったことに悔しい気持ちが生まれたが、仕方のないことだ。
 「分かりました。じゃあ、帰ったら親に話してみます」
 「うん、そうしてみてね?そして同意してもらったらまた連絡をしてちょうだい」
 「はい」
 「長いこと話し込んじゃったみたいで、ごめんなさいね?取り敢えず貴女のことが少しでも知れて良かったわ。と言っても所属して本格的に活動を始めてもらえればもっともっと貴女のことを知ることができるようになるけれど」
 楽しげに笑う鳴宮さんは多かれ少なかれワタシに期待してくれているのかもしれない。
 自分がスカウトしてきた人材なのだから期待をしてしまうのは自然なことなのかもしれないけれど、やっぱり期待をされると良い曲をつくりたくなってしまう。
 「あ、鳴宮さん!今ってボイストレーニングとかレッスンってしているんですか?」
 「今?夕方から夜間にかけてレッスンに来ている生徒たちならいると思うけれど…もしかして見学でもしたい?」
 「う…、バレました?」
 「うん、もうバレバレ」
 やっぱり今までレッスンなど受けたこともないワタシとしてはどんなレッスンがおこなわれているのか気になってしまった。いきなり来て見学をしたいと言っても許されるはずがないと思うものの意外と見学などに関しては寛大な事務所らしく鳴宮さんからはOKの一言が返された。
 「良いんですか?」
 「もちろん。音楽業界に夢を見ている一人一人を大事にしていきたい気持ちはあるけれど、すぐに挫折しちゃう子も少なくない業界でしょ?だから現実っていうものもしっかり見てもらう必要もあるから比較的見学は自由にしているわよ」
 「じゃあ、是非!お願いします!」
 今日一番張りのある声が出た気がする。こんな声は学校生活の中では滅多に出すことは無いし、歌っているときでさえここ一番!というときに出すようなものだ。
 「はい、分かりました。今、手が空いているのは私ぐらいだから一緒に行きましょう」
 そう言いながら椅子から立ち上がる鳴宮さんに続き、ワタシも椅子から立ち上がるとお茶ご馳走様でした、美味しかったです、と告げればそんなお礼なんていいのにと擽ったそうに笑う鳴宮さんがいた。
 ボイストレーニングやレッスン会場に使っているのはこのビルの三階部分だった。三階全てのフロアをレッスンフロアにしているらしく、全ての部屋でいろいろなレッスンを受けることが出来るようだ。
 昼間レッスンに来る生徒もいれば、夕方から時間を確保してレッスンを受けに来る生徒もいるらしく事務所側としては一日中忙しなく動き回ることになるが、生徒たちの指導をするのは音楽業界を早くに引退してしまった元グループ歌手の人だったり、ラジオ番組やミュージカルで今も尚現役で活躍している人たちが生徒を指導していた。
 三階のフロアにもあちこちにいろいろなグループアイドルのポスター、パンフレットといったものが持ち出し自由といった形で置かれていて本当に音楽活動に真剣な場所だと痛感した。
 「希望があれば特別に演技指導をおこなうこともあるけれど、そんな生徒さんたちは極めて稀ね。ほとんどが歌手…音楽の道を目指している子たちばかりだからやっぱりメインとなるのは音楽指導ね。歌い方だったり、発声の仕方が多いレッスン内容になっているわ」
 演技も元は発声が基本となっていくものだし、あっても損をすることはないと思うけれど、音楽を夢見ている生徒が集まれば自然と音楽関係のレッスンが多くなるようだ。
 レッスンフロアに顔を出してみると部屋の端からレッスン内容を見学させてもらうことが出来るようになった。もちろん私語は厳禁となる。
 腹式呼吸が出来るようになってからの発声練習。そして、ピアノ伴奏を指導者がおこないながらの歌のレッスンへと切り替わっていった。そこそこの人数がいるなかでのレッスンとなっているのに指導者は一人一人の声をチェックすることが出来ているらしく、きちんと声が出ていないような生徒がいれば厳しく声を掛けていく場面もあった。レッスンは和気藹々としたイメージが少しあったけれど、相当厳しい内容になっているらしい。このレッスンを日々こなしていくことで将来活動出来る歌手を生んでいくのだから巷で売れているアイドルグループがいてもおかしくはなかった。
 歌のレッスンのなかでは、時折一人ずつ歌っていく風景も見られた。どうしても人前では緊張してしまって上手く自分の歌声を披露していくことが出来ない人も世の中にはいる。歌手を目指している人のなかにだっていてもおかしくはない。今からレッスンのなかで人前で歌うことに慣れていくことが出来れば将来それほど苦労することなく音楽活動をすることができるだろう。
 有名な歌手の歌を音源にして歌うのではなく、きちんと発音をチェック出来るようにするためか誰もが知っているような童謡を使っての歌のレッスンが多いようだ。
 レッスンの見学時間というものはあっという間に過ぎていってしまって、終了の合図がかかると生徒たちは自分たちが使った部屋の掃除をしてそうそうに帰るらしい。
 もっと落ち着いて事務所に落ち着いて生徒同士話し込んだり、指導者に話しかけたりする時間もあるのかと思っていたけれど下手にフロアに居座ってしまうと事務所側に迷惑がかかってしまうからという理由で特に相談事が無いかぎりはゆっくりすることはしないらしい。
 「…鳴宮さん、見学させていただいてありがとうございました」
 ワタシは、レッスンの見学の後、受付フロアまで鳴宮さんに送ってもらうと入り口の近くで挨拶をしながら頭を下げた。
 「レッスンと言っても特別なことはしていないの。ただ、基本的なこともいつもいつも繰り返すだけ…。でも、それがとても大事なことだっていうのは生徒をはじめ指導者たちも分かっているからこそ諦めずに続けていって、最後まで基本を忘れない心を持った子たちが本格的にデビューしていく…って言うのは簡単だけれど、実際にやってみるととても大変なことなのよ」
 「…真剣だっていうのは凄く分かりました。ワタシもこれまで以上に音楽に対して熱が入りそうです!」
 「ふふ、貴女の場合はそのままの貴女の魅力があるから熱の入り過ぎには注意してね?」
 家まで送れなくてごめんなさい、と鳴宮さんはまだまだ事務所に残って仕事があるらしい。入り口近くまで送ってくれただけでも充分に有り難いことだったのに、これ以上に時間をワタシに費やしてもらうのはとても悪い気がした。
 初めてレッスンというものを目の前で見学してきたことによって音楽業界の厳しさというものが分かったし、本格的にデビューに向けてまずは親に相談していかなければならない。
 ワタシが目指しているもの、今とても興味を持っているものだから余程のことがない限りは反対されるようなことはない…と信じたい。
 ライブ活動をおこなう前でもこれほどドキドキすることは無いのに、変な緊張を抱えながら家に帰っていった。
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