櫻の王子と雪の騎士 Ⅲ
《破壊卿》ネロvs《不死鳥》アポロ
◇
ボーーーーー、
青い空をゆったりとマイペースでたゆたう綿雲を見つめる。
なにか、時間が進む速さを錯覚させてくれるのではないのか、そんな効果を期待してか無意識にそれを見つめていた。
その後ろ姿に、声がかかる。
「ネロさんっ」
「、……あ、ルト様」
現実逃避せんとしていたネロ・ファーナーと、ルトの視線がぶつかる。
けれどそこには試合中のような緊迫感や挑むような鋭さや、恐怖もない。
「──怪我はどうですか？ルト様」
柔らかい声色でそう問う。
「身体の方はばっちりです！ただ、左半身の魔力は当分使えないそうです」
「……そうです、か」
試合で、ルトを蹴りつけた時、
ネロは自身の足に魔力をのせて蹴った。
結果、意図したものではなかったが、常闇の魔力がルトの体に触れたことでその半身の魔力の機能を絶えさせていたのである。
「…アポロに診てもらいましたか？あいつなら少しは機能を回復させれるかも…」
「アポロさんは、時間が経ちすぎてたからもう回復は無理だって」
「あ、……」
口ごもるネロ。
あの時点ではルトはこの国に被害を及ぼす『敵』と認識されていた。
ネロは当然のことをした。
故に謝るべきではないのだが、ついつい喉からその言葉が出てきそうになる。
だが、当のルトは全く気にしていないようで。
「いいんです。僕の自業自得だし、それに元々魔法は得意じゃなかったから半身使えなくなったところで支障ないですっ」
それより
ルトはそう言って話を切り替えると、ぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい」
「ぇ、」
「あの時、庇ってくれてありがとうございました。僕は酷いこと沢山したのに…トリシューラにやられて当然だったのに…そのせいで大怪我を…本当にごめんなさいっ！！」
ギュッと目を閉じて、もう一度深く頭を下げる。
脳裏に浮かぶのは痛々しいあの血だらけの腕。
自分がそうなるはずであったろう姿。
それを思うたび、こうせずにはいられなかった。
「頭をあげてください、ルト様」
頭上から声が降る。
言われるがまま顔を上げると、頭の上にふわりと何かが乗る。
ネロの、革手袋越しの手だと気付いた時、目の前には彼の優しげな笑顔が広がっていた。
母譲りの花のような晴れやかな笑顔が。
ドキリと胸が鳴る。
大きな手は、ルトの頭を包むように撫でる。
「ガニメデスの言っていた通り、優しいのですねルト様は。
私に頭を下げる必要などありません。あれは試合で、庇ったのもその結果傷を負ったのもトリシューラを制御できてなかった俺の問題。貴方が気負うことは何も無い、それに腕もこのとおり、無事繋がってますし」
だから、ね。
優しいその問いかけに、ルトはこくりと頷く。
「──ネロ様、お時間です」
どこからか現れた舞闘会の係員らしき男が、そう声をかける。
「…ネロさん、試合出ることにしたんですか？」
「ああ、…まあね、不本意極まりないけど」
あれから試合が一時中断したあと、結果としてはルト側の不正行為発覚によりネロの勝利という形で幕を閉じた。
ネロ自身、負傷により次の試合は続行不可能という事で欠場を申し出たのだが
『負傷？アハハッ、あんなの負傷のうちに入るもんか、腕がちょーっと千切れかけただけでしょ。大丈夫大丈夫！主治医の俺が出場許可出すから！！』
と、アポロの馬鹿が強引に試合続行に持ち込んだ。
理由はわかっている。
「確か次は、『Duell』第一グループの決勝戦ですよね」
そう。
次は決勝戦。
棄権をし続けてきたネロにとっては初となる決勝戦だ。
そして今行われている準決勝の試合、恐らく勝つのはアポロだろう。
アポロは常々、舞闘会でネロと闘うことを切に望んでいたが、同時にネロの『戦わない』と言う気持ちの固さを誰よりも知っていた。
故に誰より強くそれを望んでいながら半ば実現を諦めかけていた。
しかしここに来て漸くそれが叶おうとしている。
これを逃せば今後一生その機会は訪れないかもしれない。
（逃してなるものか…！）
とまあ、これがアポロの魂胆なのである。
◇
「──ネロ様」
「あ、はい。今行きます」
そう言って立ち去ろうとしたネロの服をルトの小さな手が掴む。
「ネロさん、これ」
「？ん」
何かを手渡されると同時に、ルトは真剣な顔で口を開く。
「僕、変わります。ガニメデスが僕を選んでくれたことを後悔しないでいいように、あなたのような立派な主になるために。少しずつでも、頑張ります。そうすれば、ガニメデスの神格も上がるだろうから」
これは、その第一歩です。
受け取ってください。
言葉とともに渡されたそれは、クリスタルのような雫だった。
「頑張ってください、僕はネロさんを応援してます！」
元気いっぱいのエールに、ネロは柔らかく微笑みかえす。
「ありがとう、じゃあ、行ってくる」
右手には雫がしっかりと握られていた。
