ドルチェ セグレート
ショッピングモールのテナントとして入っている雑貨屋【nine】。そこの雇われ店長が私だ。

河村明日香、二十五歳、独身、ひとり暮らし。恋人は、昨日からナシ。
これといった趣味はなく、女子力も高くはない。そんな私が唯一好きな物――甘いもの(スイーツ)だ。

「間に合ったぁ……!」

息を切らし、辿り着いた先に映るのは、白い壁にラズベリーを思わせるような赤の窓枠とドア、オーニング。
そのドアの上には、同じ色で〝patisserie de rencontre〟の文字。

間接照明の柔らかい光にホッと気持ちを落ち着けて、ゆっくりとそのドアを引いた。

「いらっしゃいませ」

カランと軽快なドアチャイムを鳴らしたかと思えば、すぐに店内から歓迎の言葉が聞こえてきた。
視線をあげると、ショーケース越しに立って私を見るのは、真っ白なコックコートを纏った爽やかな笑顔の男の人。

ここ、【パティスリー・ドゥ・ランコントゥル】というケーキ屋さんは、そう頻繁に訪れるところではない。

けれど、それは『好きじゃないから』ということではなく、むしろ逆。
すごく好みのお店なんだけど、立地と値段からしょっちゅう利用することはできないだけだった。

だからこそ、特別なこのお店は、〝特別なとき〟に来店する。

仕事を頑張ったときとか……落ち込んだときとか。

「お決まりになりましたら声をおかけください」
「あっ、は、はい」

昨日の出来事を不覚にも思い出しかけた時に、目の前のイケメンパティシエに声を掛けられてハッとする。

意識をショーケースの中へと向け直し、中腰になりながら吟味する。

閉店間際だから、並べられてるケーキの種類はもう少ない。

とはいえ、私は優柔不断でいつも迷ってしまうから、このくらい数が限られていた方がちょうどいいかもしれない。

今、ショーケースの中にあるケーキの種類は五種類。
モンブラン、フルーツコンポート、シフォン、ガトー・オ・ショコラ、チーズケーキ。

チョコレートが好きな私は、やっぱり一番にガトー・オ・ショコラに目が行った。

せっかく足を伸ばして帰宅経路から外れてきたんだし、なによりテンションを上げるためなんだから、奮発しちゃおう。
三つ買う! 食べる!

ひとりで小さく頷くと、「すみません」とさっきの店員さんに声を掛けた。

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