きみと、春が降るこの場所で
詞織は帰るのが嫌だとごねた割に、病院への最短ルートを選んだ俺に文句のひとつも言わなかった。
ただ、目に映るもの全てが物珍しいというように、いちいち立ち止まって見入るからその度にグイグイと手首を引く俺は、まるで詞織の保護者みたいだ。
「あ、ねえ朔。あの子はゴールデンレトリバー?」
「違う。ラブラドールだろ」
「そっかぁ…可愛いね」
正面からこっちへ向かってくるラブラドールレトリバーが、詞織とすれ違おうとした時、パッと顔を上げた。
犬の黒い瞳にビクリと肩を跳ねされた詞織が映り込む。
「かわいい……」
詞織の空いた手に鼻先を押し付ける犬に、飼い主のおばさんも苦笑いをする。
けれど、小さい子供のように恐る恐る犬の頭を撫でて、目をパチパチとさせる詞織を見て、どこか微笑ましそうにもしていた。
人の目にも、そう映るんだな。
心が純粋なら、人は寄って来る。もちろん、動物だってそうだ。
俺には見向きもしない犬が、ほんの少し恨めしい。
じゃれついてくるラブラドールレトリバーにひとしきり構った詞織は、おばさんにしっかりと頭を下げて、その影が曲がり角に消えるまで見送る。