死刑囚「久山郁斗」の啓示
 本部の殺人犯係長の号令を合図に、編成が呼びかけられる。ドラマでは本部、所轄の人間同士と、いつものメンバーで班が決められる。が、本来は違う。精鋭と呼ばれる本部の人間と土地勘のある所轄の人間でペアを組ませられるのが通例だ。さらにペアになった捜査員は、聞き込みの『地取り』、被害者の人間関係を中心にした情報収集の『鑑』、証拠品から追っていく『ブツ』、全てを独自に行う『特命』、この四つの班に振り分けられる。これが編成だ。

「地取り一組、佐藤と山中。二組、九条と長谷川。……鑑一組、牟田と橘」

 次々に本部の人間と所轄の人間が組み合わされていく。
 緊張しながら自分の名前が呼ばれるのを待つ。大概、若い捜査員は経験豊富な捜査員と組むことが多い。だから腕利き刑事と呼ばれる人とペアが組めた場合は運がいい。彼らが長い経験で培ってきた技術を学べる唯一の機会だからだ。

「ブツ三班、後藤と松本。ブツ四班、太田と藤本。特命は相馬と菊池。以上だ」
「え?」

 私と浜田先輩のみ名前を呼び上げられていない。
 浜田先輩に目をやる。彼女も怪訝な顔をして前を向いていた。

「続いて事件説明にうつります」

 指摘する間もなく刑事課長が立ち上がった。
 ホワイトボードに黒く縁取りをされた二人の女性の写真が張り出された。さらに腹を大きく裂かれた二つの死体が並ぶ。

 一件目は、駅から数キロ離れた住宅街の一角にあるマンションで死体が発見された。被害者の名前は那波知加子、既婚の三一歳。県内の大手新聞社へデザイナーとして派遣されていた。現在は派遣切りにあって休職中。第一発見者は旦那である那波良太。仕事が終えて帰宅後、倒れた奥さんを発見し、本署通報の流れとなっている。彼女の体には、犯人と揉み合った際に出来た防御痕が腕を中心にかなりの数付けられいる。また、腹部にナイフによる腹部に刺し傷があり、下腹部を中心に一〇カ所以上の刺し傷が確認されている。しかし直接の死因は絞殺による窒息死。死亡推定時刻は昨夜の七時から八時の間らしい。

 そしてもう一件。被害者の名前は岡部雅美、二〇歳、既婚。地元中小企業に勤める事務員だ。遺体が発見されたのは昨晩深夜。急遽入った飲み会を知らせるため、夜一〇時半過ぎに電話を入れたが連絡は取れなかったそうだ。その時は寝ているのだろうと深く考えず旦那は同僚と居酒屋へ。その後の帰宅時に死体発見の運びとなっている。彼女の体には指から腕、肩に至るまで防御痕と見られる複数の切り傷がつけられていた。さらにこちらもまた腹部に一〇カ所以上の切り傷が認められた。その上彼女の死因も絞殺。死亡推定時刻は昨夜の九時三〇分から一〇時三〇分とされている。

「被害者宅で起きた犯行、絞殺であること、さらに被害者下腹部を執拗に切り刻んだ手口など多くの共通点、類似点がみられる。さらにだ」

 刑事課長が一枚の紙を広げた。

「岡部雅美の部屋に残されていたものだ。『三六人を殺して春川時彦の孫を殺す。久山郁斗』と書かれてある」

 犯行声明の文章に会議室がざわめいた。捜査員同士顔を見合わせ、犯行声明を何度も見ている。いつも以上にピンと張った氷柱のような緊張感がこの場を支配していく。
 “特別捜査本部”と戒名をつけられた意味がようやくわかった。
 約一五年前。“紫ヶ丘保育園事件”が起こった。殺害数は津山事件を超え、明治以降一人の人間が起こした殺戮事件の中で日本犯罪史上最も多い三七人。犯人の名前は久山郁斗、当時十四歳。彼は事件発生直後に逮捕され、二〇〇X年七月一九日に刑を執行されて二〇代前半でその命を終えている。それまで未成年に死刑は適応外とされていたが、この事件がキッカケとなり、一八歳未満の未成年にも成人同様の死刑を含む同様の刑事罰が課せられ、少年法も少年院も全面撤廃された。彼の起こした事件が日本に与えた爪痕はそれほど深い。今なお名前が上がるたびマスコミは地下鉄サリン事件以上に騒ぎ立てる。そのため、久山郁斗の名が語られた場合は、県警本部でも社会的影響を考慮し“特別捜査本部”と戒名を付ける慣習が出来上がったと聞かされている。

「現在確認できている被害者数は二名。すでに春川時彦の孫の安全はこちらですでに確保済みだ。何か質問は?」
「はい!」

 勢い良く手を挙げる私に一斉に視線が集まった。構わず立ち上がる。

「私と浜田捜査員の名前がまだ呼び上げられていません」
「君たちは残ってお茶受けを下げてくれたまえ」
「は……」

 伸びていた指先が曲がり、肘が肩まで落ちた。
 解散の声を合図に皆が立ち上がる。菊池先輩とその相棒・相馬さんが私たちの長椅子前で足を止めた。

「顔だけ班が何をのぼせ上がってるんだぁ。なぁ、オバナ!」

 菊池先輩がさも嬉しそうに狐目をつり上げる。

「ちょっと菊池先輩、言い過ぎでは……」
「顔だけオバナにのぼせ上がってる金本睦月は黙ってろ!」
「やめてくださいよ、俺はそ、そ、そんな」
「いくぞ、菊池」

 相棒となった相馬さんが歩き始めると彼女はフフンと笑い、丸めた紙の束で私の肩を叩いた。振り返って彼女が持っているそれを凝視した。捜査資料だった。
(そういえば私たちは資料の一枚だって貰っていない……)
 嘲笑する顔も声も隠すことなく各班が会議室から出て行く。ちょっとだけ私をかばってくれた金本さんもばつが悪そうにしながら、相方の女性を追いかける。視界から誰もいなくなると扉の閉まる重厚な音がした。途端に目頭が熱くなって、鼻の奥がツンとした。爪を立てて、スカートの生地を握る。

「二〇歳にもなって泣かないの」
「だって、だって悔しいじゃないですか!」
「借りは働きで返すものよ」

 子どもに言い聞かせるように浜田先輩が諭してきた。

「はい……」

 鼻をすすった。
 先にお茶を片付けに動いた彼女についていく。と、急に前を歩く彼女の動きが止まった。慌てて私も動きを止める。彼女の視線の先を追った。捜査会議には出席していなかった県警本部長が立っていた。
 思いがけないトップの出現に敬礼した。なぜここに、その一言さえ言い出せない。

「君たちにはミティ・ドーラに行ってもらおうと思う」
「君たちって……本部長、正気ですか?」

 突如男声で叫ぶ浜田先輩の顔を覗き込んだ。いつもなら怒っていてもどこか上品さを漂わせている表情は崩れ、強張ってしまっている。

「久山郁斗という名前が出てきたうえに、春川時彦の孫ときている」
「しかし、もう小畑を連れて行くのは……彼女は先月入って来たばかりの新人で、詳しい説明もまだですし。混乱も予想され到底お役に立てるとは思えません。私一人で行き、私一人で捜査を……」
「彼女を連れて行くのは上の意向だよ」
「しかし本部長!」

 本部長が不適な笑みを零す。

「いいんだよ別に君は行かなくても。彼女だけで行ってもらうから」

 浜田先輩は苦虫を奥歯で噛んだような表情を見せたあと、小さく了承の返事をした。
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